見出し画像

今日、生きることがしっくりきた

哲学的なこと言いたい風のタイトルだけど、
これは、
飲みすぎて気持ち悪くて吐けなくて苦しんで「死ぬかも〜」と思って生を考えた
というしょうもない話なので、そのつもりで読んで欲しい。

今日は友人の結婚祝いの集まりがあった。
20年来の仲間で、楽しくて、午後いっぱい飲んでた。
子連れOKのカジュアルな場で、娘も一緒に参加していたから、
酔っ払うことなく夕方帰宅。
子連れで外でお酒を飲んだときあるあるなのが、
帰ってきてめちゃくちゃ気持ち悪くてめちゃくちゃだるくなるやつ!!!
これみんななるの?ならんの?
どっちでもいいか。
外ではそれなりに気を遣っているからだろう、帰ってからがひどい。
今日はその最たるもので、
「ごめん、ママ無理だわ、ちょっとタイム」
と言って床で屍。
(ちょっとタイムって時代を感じる言い回しである)

つらいーーー
吐きたいーー動けないーー
吐くほど飲んでなくて吐けないーーー
無理、しんどい、水も飲みたくない、無理
という辺りを彷徨っていたら、
「もうしんどすぎる、死ぬかもしれない」
というフレーズが頭に浮かぶ。
「いや、死なないから、安易にしぬとか言うなって」っていうセルフつっこみを挟みつつ、
次にドラマチックなやつが出てきた。

「だめだよ、死ねない、死ぬわけにいかない」

もう完全に酔っ払いの戯言である。
さらに来る。

「なんで?なんで死ねないの?」

答える自分。

「だってさ、娘のこの後の人生を見られないなんて、それはないよ、見たい」

ここで思ったんだ、酔っ払いの私は。
娘って大体において私なんだよね、と。
して欲しいなって思うことは私がしたいことだし、
許せないと思うことは私が私に許してないことだし。
ってことは、

「だってさ、私のこの後の人生を見られないなんて、それはないよ、見たい」

ってことかーーーい。
そうか、そうなのか、私は私の人生が楽しみだし、娘の人生も楽しみだし、
お互いに見せて見せられて、できたらいいなと思ってる。
私は私の人生を生きたいと思ってる。少しでもたくさん。

これは私にとってはとてもすごいことで。
生きるということがずっとしっくりきてなかった。
死のうとしたことはないけど、
「できることなら消えてなくなりたい」ってずっとどこかで思ってた。
うまく生きられないと思って、悲しくて、私は弱く小さく無力で無能だと、責めたり諦めたりしてた。
私なんて、人なんて、人生なんてそんなもんってことにしてたんだと思う。

だから、
「生きたいー!」って言ってる私が外に出てくるって、私にとっては実に清々しいことである。
いやあよかったよかった。

という、酔っ払いの話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?