PDT体験記ではないけれど、あかちゃんが来てくれました

おなかにあかちゃんが来てくれました。
分かったのは2017年1月で、10月に生まれてくる予定です。
妊娠が分かって、気持ちが舞い上がり、
その後のつわりで「こんな風になるなんてキイテナイヨ〜」な不調を味わい、
自分に子宮頸がんになる可能性のある異形成が見つかり、
PDTの治療を受けたことなんてすっかり頭から抜けていました。
でも妊娠を報告した友達が、
「治療頑張ってよかったね!」
「入院と手術があったあとだから倍うれしいね」といってくれて、
そうか、そうだった、そこから応援してもらっていたんだと改めて思い直しました。
過ぎたら忘れてしまうなんて恩知らずな、、
ということで、感謝も込めて、ここにも残そうと思って書いています。

手術が終わって心配がなくなったら子供のことを考えようというのが、
治療を受けると決めたときに夫婦で話し合ったことでした。
PDTの治療後は、組織が完全に修復するのを待って、
3ヶ月から半年くらいで妊娠しても問題ない状態になるそうです。
毎回の診察で、「まだだめですかねー、まだですよね?」と聞いていました。
どうでもいいけど、相手が婦人科の先生とはいえ、
こういうのってやっぱり聞きにくいですよね。
お医者さんは全然そんなの気にしないんだと思いますが、
早くしたいんですけどっていってるようで、、、なんか、、、ねえ。
いいコミュニケーションの方法はないんだろうかと毎回複雑でした。
でもちゃんと聞いた方がいいというのは間違いない。

妊娠が分かったときも、まずはPDTの治療をしてくれた杏雲堂病院の坂本先生のところに行って報告。
産科への紹介状を書いてもらい、出産までの間の経過観察について説明を受けました。
再発所見がないかを3ヶ月おきに確認していきます。
妊娠してない場合でも同じだから、いつを診察日にするかをちょっと調整するっていうくらいです。
そしてちょうどタイミングよく、坂本先生に報告して診察してもらったときに、
初めてあかちゃんの心拍が見えました。
「あかちゃん頑張ってるね、よかった」って先生も看護士さんも喜んでくれて、
とてもお世話になった方々に最初に診てもらえて、
しかも初心拍も確認してもらえて、
あかちゃんが来てくれたんだっていう実感が。
泣きました。

癌じゃなかったから、私はサバイバーではないし、
癌や病気を向き合うということの大変さの1万分の1くらいしか体験してないのかもしれないけど、
感じたことや学んだことはほんとに多くて。
医学的には、ここからが癌、ここまではなんとか、っていう定義があるわけですが、
本人はそのまま本人で、本人の日常はそのままあって、
100%病人っていう人もいないし、今日から100%患者っていうことも起こらない。
日常じゃない要素が登場するとそれで頭いっぱいになるし、
それによってできなくなったこと、計画変更が必要になったことが目について悔しい、もうやだってなるんだけど、
それまでの暮らしや、思い描いていたその後の人生はなくならないから、
どうやってそれを調整して、前向きにやっていくかっていうことで。
思い返せば、病院の先生も、家族も、職場の人たちも、
いろんな相談の中でみんながそれを手伝ってくれていたんだなと思います。
大なり小なりの体調不良や、家庭の事情や、いろんなことがある中で、
一緒に生きていくというのはこういうことなのかーというかんじ。
もし手術がうまくいかなかったり、再発して癌になるとか、もーっと進んで子宮摘出とか、
そんなことが起こっていたら、今と全然違うまとめなのかもしれないです。
でもこの線からこっちは最悪、こっちはセーフ、みたいなはっきりした世界じゃないし、
みんなそのグラデーションの中にいるんだということも実感できました。

いちいち大げさに心配性なので、またオーバーなこといってる気もしますが、
残しておきたいと思います。

さー次は出産。楽しみ!

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