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医学部生と考える日常の不思議#1 「犬はなぜおしっこをするのか?嗅覚と記憶の話」

※この記事はアカデミックな背景を元にした研究ではなく、あくまで個人的の見解です。エンタメとして捉えていただけると嬉しいです。

 こんにちは、医学部生です!私はその名の通り医学部に通う大学生で、大学で人体について様々な事柄を勉強してきました。もちろん、勉強するべきことはまだまだ沢山残っているのですが、半端なりにも医学をかじった身として、生命の不思議や考えることの楽しさを表現したい!と思い、普段自分が感じた身の回りの不思議を自分なりに考えてみようと思いました。ゆるいテイストと医学的な話の共存を模索していこうと思っておりますので、お付き合い頂けるとありがたいです🙂

 私は幼少期から犬(女の子)を飼っているのですが、その子とは10年以上の付き合いで、無二の親友となっています。普段は学校やバイトなどに忙殺されているため、あまり遊んであげられていないことを後ろめたく思っていたのですが、外出自粛期間にはワークライフバランスを見つめ直した結果、遊ぶ時間を沢山捻出できるようになりました。普段では中々してあげられなかった、お散歩も率先して行うようにしていたとき、以前では気がつかなかったことに気が付きました。
 
「この子、家の周りの地理完璧に理解してないか?」

 私たちは完全に信頼しあってるので、散歩の際は周りに人や車などがない限りは、あまりグイグイとリードを引っ張らずに、気ままに歩かせてあげているのですが、彼女は曲がるべき角でしっかりと曲がり、家が近くなると決まって遠回り(まだお散歩したいのかな😅)するのです。なんて賢いんだ!と不思議に思った私は、お散歩の様子を観察したところ、以下の事柄に気がつきました。

・お散歩中に頻繁に、一回あたり少量の排尿をする
・排尿の前には入念に地面の匂いを嗅ぐ
・排尿の箇所はほぼ一定

 これっておしっこが地図情報の定着のカギなんじゃないか?と思った私は、今まで勉強した以下の事柄から、おしっこと地図情報の定着の関係性を考えてみました。

・嗅球と海馬の解剖学的関係性
・成体神経新生の好発部位
・記憶定着のメカニズム

1.嗅球と海馬の解剖学的関係性
 ここでは、中枢神経系の解剖学(特に嗅覚伝導路)について簡単に説明していきます。より詳細に知りたい方は、「カラー図解 神経解剖学講義ノート」や、iOSアプリの「ヒューマン・アナトミー・アトラス」などがシンプルでわかりやすいのでオススメです。これらのリソースについては、この記事の末尾にオススメ文献のリストを載せておきますので、そちらを参照してください。

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 嗅覚は鼻の中にある嗅細胞によって感知され、嗅神経を通って、嗅球という部位に出力されます。この嗅球は嗅覚の中枢(管理センターみたいなところ)となっています。この嗅球からは脳内の様々な部位に直接的・間接的に出力があるのですが、今回重要となってくるのは、海馬です。

 嗅球から嗅索を通った神経は、梨状葉へ出力し、これがさらに嗅内野へと出力します。そしてこの嗅内野が海馬体(海馬の様々な構造全体)へと出力をします。簡潔に纏めるのであれば、嗅球と海馬は間接的に繋がっているということです。海馬は様々なタイプの記憶に関連する、記憶の中枢となっています。

 これらの解剖学的な関係性からも推測できる通り、嗅覚と記憶には密接な関係があると言われており、受験業界では、暗記の際に何かの香りを嗅いでおくと記憶に定着しやすいと言われています(自分は強い匂いを嗅ぐのが苦手なのでまだやった事はありませんが、是非お試しください!)

2.成体神経新生の好発部位
 嗅球と海馬の位置関係をご理解頂いた上で、さらに面白い嗅球と海馬に関連したトピックとして、成体神経新生が挙げられます。成体神経新生とは、成体の中枢神経系において新たな神経細胞が生まれることです。なぜこれが注目すべき事柄なのかといいますと、かつての常識では成体神経新生は否定されていたのです!(これを神経解剖学の研究に尽力した学者の名をとって、カハールのドグマといいます)しかし、現在には成体神経新生は、ごく一部の領域で低レベルに行われるということが明らかとなっています。その領域が側脳室の脳室下帯という部位と、今回のテーマで重要な、海馬歯状回となっています。

 成体の脳室下帯や海馬歯状回で生まれた神経細胞は移動をしていくことが知られていますが、面白いことに新生神経の一部は嗅球に向かって移動することが知られているのです。この新生神経が、嗅球や海馬に依存した学習や記憶に関係しているのです。(Simon M.G.Braun, Sebastian Jessberger [2014]参照)

3.記憶定着のメカニズム

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 海馬歯状回で成体神経新生が行われるということと、記憶の定着にはどのような関係があるのでしょうか。このことを理解するためには、シナプスが重要になってきます。シナプスとは、神経細胞から別の神経細胞へ接続される部分のことで、神経細胞の電気信号を一度化学物質へと変換し、次の神経細胞で再度電気信号に戻す場となっています。

 このシナプスは、神経細胞への入力の大きさを調節する上で非常に重要となっており、化学物質の受容体の数や活性、シナプスのサイズなどが変化することで、化学信号の強度を調節し、次の神経細胞が発火(スイッチがオンになる)ための閾値を超えるかどうかに影響を与えます。化学信号が強化されれば、一つ前の神経細胞からの電気信号が弱くとも次の神経細胞は鋭敏に反応し、化学信号が弱くなれば、一つ前の神経細胞からの電気信号が強くても次の神経細胞は発火しない、などの現象が起こります。これらの現象を長期増強(LTP)や長期抑圧(LTD)といいます。LTPやLTDは、一つのシナプスにおいて頻繁に信号が入力されることで生じることが知られています。

 シナプス可塑性(LTPやLTDによってシナプスの性質が変化すること)は記憶や学習に関与しており、これらが影響するものとして、LTPは陳述記憶(イメージや言語化できる記憶)など、LTDは非陳述記憶(イメージしにくい、技術などの記憶)などが例として挙げられています。特に、海馬の場所細胞という細胞は、LTPによって記憶の定着に有利に働くということが知られています。(Mark Mayfordら [2012])

 以上の内容を簡潔に纏めると、頻繁に同じ神経回路を用いることで記憶の定着を促すことができるということです。忘れかけた事柄でも頻繁に見返すことで、記憶が定着する内容を示した、エビングハウスの忘却曲線は医学的なコンテクスト以外でもよく見かけますが、シナプス可塑性がその裏付けとなっていると考えることができますね

考察・結論

 以上のことを踏まえて、私が犬の散歩を観察して分かったことがらの理由は以下のように解釈できます。

「お散歩中に頻繁に、一回あたり少量の排尿をする」
→尿を道標としているため、等間隔で排尿をしたい。排尿可能な量は体内の水分に依存するため、温存したい。

「排尿の前には入念に地面の匂いを嗅ぐ」
→尿は匂いが強いため、効率的に嗅覚と記憶を連携させることができる。匂いを嗅いで、決められた道標の場所を確認してから、匂いを上書きする。

「排尿の箇所はほぼ一定」
→同じ場所で排尿することで、LTPやLTDを促し、視覚情報と位置情報の記憶を定着させる。

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 つまり、犬は同じ場所で定期的におしっこをして、その匂いを自分で嗅ぐことによって、地図情報の記憶を促していると考えられます。自然界には物質の匂いを使って縄張りの主張や、敵味方の区別をする動物も多いようですが、これらも記憶と関係があるのかも知れませんね!

オススメ文献
寺島俊雄 (2011) カラー図解 神経解剖学ノート. 金芳堂
ヒューマン・アナトミー・アトラス
Braun SMG & Jessberger S (2014) Adult neurogenesis: mechanism and functional significance. Development 141:1983-1986; PMID 24803647
( https://dev.biologists.org/content/141/10/1983.long )
Mayford M et al. (2012) Synapses and Memory Storage. Cold Spring Harb Perspect Biol 4:a005751; PMID 22496389
( https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3367555/ )