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山岸会と紫陽花邑に学ぶ -DAOの目指す一体社会とは- 【気流の鳴る音vol.1】

自然の再人格化、ラディカリティの戦闘する先

ラディカル、この言葉は私にエネルギーを湛えた泉、地殻運動を連想させる。
洞爺湖の水の静けさと、人のいない西山山麓火口散策路で見た地殻の動きの跡の併存。そういえば彼処にはラディカルな空気があった。

(柄谷行人氏の提唱した交換様式Xについての理解も必要だろう)

出会い kiryuusha

先日気流舎と言うカフェに知人を訪ねて行ってみた。下北沢の商店街から路地へ少し外れた場所、アパートの一階にあるその店は、そこに遠い昔からあったように、当たり前のように佇んでいた。
木製のドアを引いて中に入ると、そこは本と木製の家具に囲まれた空間だった。自然に初めからそこにあったかのような民俗音楽に包まれ、人が一杯に居て座っている。その観察をするうちに私はリラックスしきっていた。何故か力が抜けていく感覚を覚えた。それ以外の意識の表層に現れない気づきを求めたがその意志すらも解けるような、波のような音楽に乗る波のような空間。私はそれに乗っていた。
なんだかやたらに心地の良い空間である。4m四方ほどの非常に狭い部屋のはずなのに、その狭さを感じさせない。この不思議な感覚は是非味わっていただきたい。
聞くとインドネシア民族音楽とレアックについての講演が開かれており、10人ほどがそれに参加しているらしかった。
気流舎についてもまた今度書き留めたい。

その気流舎の名前の元となった、真木悠介氏の「気流の鳴る音」を読み始め、あまりに興味深かったので共有したい。(この分野を研鑽している方からすると非常に粗雑な解釈である。了承願いたい。)

「気流の鳴る音」真木 悠介

カスタネダの著書にドン・ファンを主人公とする4冊の著書に描かれた「世界」と〈世界〉の論理に、人間ほんらいの生き方を探る。 現代社会に抑圧された自我を、深部から解き放つ比較社会学的構想。

人間と人間

山岸会と紫陽花邑

  • ニギリメシとモチ

  • 一体性と多様性

  • 話合いと感覚

人間の個体性と共同性の弁証法

奈良県にある紫陽花邑(あじさいむら)という村には差別は存在しない。感覚でスッと入ってしまうから。紫陽花邑に行った人にはその感覚がわかる。弱い人や病気の人にはこちらの方が幸せだという。
その邑の構成員は、コメ一粒一粒が融解し一体社会としてモチになるように、共同のものとなっている。(現在の多くの集団は対照的に一粒一粒がエゴを持ったまま個人が連合して形成されており、相剋や矛盾を含んだものである。ニギリメシ的なのである。その中でも山岸会は個々の研鑽でエゴを抜いているために一体社会を形成しているという。)
そして集団の自己規定として、つまり集団としての在り方を性格づけるにあたって、多様性をまず自らの心のもとに置く。
ここで、モチのような極限的な共同性を集団の風景としてもつがゆえに、実際の活動においては諸個体の個体性をより敏感に前提として、紫陽花のような多様に開花する個体性をその集団の心としている。
この一見対立した個体性と共同性を統合したジンテーゼを紫陽花邑を介して提起している。

筆者は人間の個体性と共同性の弁証法をコミューンについての根本的な命題としている。(「共同体」のかなたへ)


考察
山岸会の「一体社会」においては、諸個人の個性(感覚や欲望や能力の差異)は抹消されない。それはエゴを持ちうる個人による集団である。
山岸会の可能性は、モチを志向した永久革命として説明されている。個性の多様性が故にモチたりえないと同時に、諸個人の事実ある多様性を素材として総意を練り上げてゆく装置ゆえ、「無固定前進」「ゼロ位に立つ」というモットーを掲げ、同質化しない多様に開花するものたちの紫陽花、ひいてはモチを目指すことができる。 これはあらかじめ枠づけられた観念の内に諸個人を封じ込む全体主義では実現しない。

ここに、山岸会的DAOを作るときに必要な問題提起が集約されている。
あらかじめ枠づけられた観念の内に諸個人を封じ込む全体主義ではないか?(なぜそれではいけないか、の理由については私もまだ確信を得ていない)
諸個人がエゴを持つものたちという前提で研鑽を続けるような仕組みがあるか?

逆に紫陽花邑的DAOは可能なのだろうか。
モチ的に均一なロールが付与され、それらがエゴを持たずに個体性を謳歌することができるか、、感覚での意思疎通、関係の実質を築くことができるかなどに論点があるように思う。

未だにDAOはバズワードにすぎない。DAOには心ある道を旅できるような仕組みが可能なのだろうか。
共助の究極、家族の拡張を実現させるフレームワークを作ることはできるのか、ということを命題としてDAOを学ぶ同僚がいるが、後述する、「人間と人間の関係の実質」をDAOはハックできるのだろうか、というところに焦点を当てていきたい。

次回:人間と人間つづき
          自然と人間


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