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NZで帝王切開に立ち会った

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手術室には入れないと思っていたので、一瞬面食らったが、よく考えたら私も靴にはカバーをつけていたし、目の前のドクターとほとんど同じ格好をさせられていた。それは、当たり前だが、手術室内での出産に立ち会うためだった。

中に入ると、妻が手術台の上に横たわっていた。頭の上に周って声をかけると目を開けて私を見た。疲れ切った顔をしていたが、痛みから解放されてホッとした表情だ。しかし、まだ腹部は丘陵のように膨らんでいる。今にも向こう側からデイダラボッチが現れそうなほど立派な丘陵だ。

「You are going to see your baby very soon!」

医者はあくまで明るい。

しばらくすると、ドクター、コメディカル、ミッドワイフ、それぞれの役割を持った人たちが10人ほど、手術台を取り囲むように立ち、実際に開腹を行う黒人の医師が点呼を取った。それぞれが短く自己紹介し、自分がなぜここにいるのかを述べる。私も「Ash, husband」と発言した。取違いミスを防ぐためだろう。

麻酔科医が氷嚢を妻の腹部に当てて、触覚や痛覚の有無を入念に確認し、術野近傍の麻酔がきいていることを確かめた。その後、彼らの間で二、三コミュニケーションがあって、黒人の医師が青い手袋をはめた右手でメスを持ち、腹丘陵のふもと付近にもう片方の青い手を置いた。

一閃。

まるでポテトチップスの袋を開けるみたいに、一瞬で開口部が出現した。躊躇なく手を突っ込む医師。その様子は、買い物後にエコバッグの底からかぼちゃでも取り出そうとしているように見える。妻にしても、痛みは当然ないが、いろいろと引っ張られる感覚があるみたいで目を丸くして「おおおおお?」なんて言っている。

かぼちゃはまだ出てこない、かなり奥に入っているようだ。医師の対面に陣取るもう一人のドクターが、開口部を鉗子で引っ張って維持する。黒人の医師がメスを置いた手を紫色にしながらしばらく格闘し、私の顎の下から聞こえていた「おおおお?」が「おおおおお!?!?!」となったかと思うと、新鮮な牛タンのような色をした、かぼちゃのように巨大な、しかし形は そら豆状をした物体が医師の手とともに上昇してきた。

それが息子だった。

そら豆のように見えたのは息子の顔で、中央付近には深いシワが一本横断していた。それは息子の目だった。サナギのように縮こまった手足がそれに続き、ストロー状に丸めた湯葉のようなへその緒は、すぐに切られてクリップで結さつされた。息子はコメディカルの手で手術室の壁面にあるハイテクなオムツ交換台のような蘇生ステーションに連れて行かれて、CPAPによる強制呼吸が開始された。泣き声はいっさい上げなかった。

顎の下に目を向けると困惑した表情の妻が何かを目で訴えている。

「出たぞ」

「うん、わかる。軽くなった。」

呆然としていたのと、泣き声が聞こえないことでまだまだ緊張感が続いていて、それしか会話できなかった。

目の前では、ドクターが落ち着いた様子でテキパキとバッグの中身を詰め戻しているところだった。医師だけでなく、周りの皆もなんとなくリラックスしている様子だ。泣き声が聞こえないので不安だったが、彼らの様子をみていると徐々に安心感が出てきたが、油断できない。分娩室で聞いた

「Save my baby」

という妻の懇願の声が頭の中をぐるぐるしていた。本当に大丈夫なのか、早く最初の声を聞かせてくれ。

すべての中身を詰め終わった医師が、魚の肋骨のような形の針で開け口を塞いでいるときに、蘇生ステーションの方向から抗議する猫のような声が短く響いた。

息子の第一声だった。

隣のコメディカルに「見に行ったら?」と言われて恐る恐る近づくと、信じられないほど小さいが、しかし、確かに「人間」の形をしたものが横たわっていて、それが痙攣していた。CPAPの酸素マスクが顔全体を覆っているので、表情は見えない。痙攣しているように見えたのは、CPAPが肺の中に強制的に空気を送り込んで呼吸をさせているからで、まるで紙風船のような胸郭がパタパタと膨張と収縮を繰り返している。自発呼吸が安定するまで、血中酸素濃度を見ながら補助呼吸を続けるのだそうだ。なんだかものすごく苦しそうに見えるけれど、担当しているコメディカルたちの様子から、どうやらある程度安心して良いのかもしれない。

手術台に戻ると、バッグの口は閉じられ、大きな絆創膏が貼られていた。妻に状況を報告して、妻もやっと安堵のため息をついた。涙も流している。その間にCPAPが外れた息子は基本的な身体測定を済ませたようだ。帽子とオムツがつけられると、途端に赤ん坊っぽくなった。

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たくさんの方々からサポートをいただいています、この場を借りて、御礼申し上げます!いただいたサポートは、今まではコーヒー代になっていましたが、今後はオムツ代として使わせていただきます。息子のケツのサラサラ感維持にご協力をいただければ光栄です。