投票率が低いのは、政治家のせいではない

先日、在外投票を済ませてきた。

画像1

クライストチャーチの領事館にて

いろんな人がいろんなことを言っているけれど、個人的には「自分の支持する政党が政権を取るかどうか」よりもはるかに気になっていることがある。それは今回の衆院選の「投票率がいくつになるか」だ。

生存のための選択をする意思

投票の意義を理解する知性と、生存のための選択をする意思を持つ人たちが、今の日本にはどれくらいいるのだろうか。

投票の意義とは「自分のことは自分で決める」というものすごく簡単なことだ。

「自分のことは誰かが決めてくれる」と考え、自らの生存のための選択をする意思を放棄した大人が国民の大半を占める国があったとしたら、そんな国を成熟した民主主義国家とは呼べないだろう。

ひらがなが書ければいい

話し言葉の日本語を理解し、紙と鉛筆でひらがなが書ければそれだけで投票はできる。

自分の椅子を守ることだけを考えている「政治屋」と、椅子を使って何かを変えようとする「政治家」は、彼らの話す言葉を聞けばすぐに見分けがつく。

テレビでもインターネットでもなんでもいい。政治的立場や政党名にとらわれずに、まずは彼らの日本語をただ聞く。彼らの日本語を聞いて、政治屋と政治家を見分けたら、政治家の中からもっとも自分の考えに近い人を見つけて、投票所でその人の政党の名前や、候補者の名前をひらがなで書けばいい。

自分の考えに近い人がいなければ、自分の考えから最も遠い人の対抗馬になる人の名前を書けばいい。

何も難しいことはない。

あんたはどうすんだい

投票率さえ高ければ、誰が与党になってもいいはずだ。なぜなら、自分たちで選択したことには、自分たちで責任を取れるのだから。それが失敗だったのなら、それを甘んじて受けて、次の選挙でもう一度ひっくり返せばいいだけの話なのだから。

でも、投票率5割だったとしたら、自分たちの生存に責任をもつことを拒否する人たちが日本の大人の半分を占めるということになる。そのことの方が、危機的だと思う。

投票率が低いのは、政治家の責任ではない。国民の知性と意思の問題だ。政治家を叩くのは、藁人形を叩くのと変わらない。本当の本当は、徹頭徹尾「あんたはどうすんだい」というだけの話なんだ。

たくさんの方々からサポートをいただいています、この場を借りて、御礼申し上げます!いただいたサポートは、今まではコーヒー代になっていましたが、今後はオムツ代として使わせていただきます。息子のケツのサラサラ感維持にご協力をいただければ光栄です。