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どうしてあの記事に6000件ものスキがついたのかと、noteを30日間連続更新してわかったことのいくつか

私が「ロックダウンのNZで」なるマガジンを立ち上げ、「毎日更新にチャレンジします!」とぶち上げ、連載することにしたのは、3月27日のことだった。

この日、マガジン立ち上げを決意する少し前、ある私の記事に、それまで経験したことのない早さで「スキ」が集まってきた。

私は、noteがサービスを始めた2014年からこのアカウントを使っているが、自分が書きたいことをただ書き散らしてきただけのアカウントだったから、フォロワーはおろかスキも少ないアカウントだった。反応をもらうのは嬉しいことだけれど、反応が少なくても実害はなかった。航空ネタに特化した有料マガジンを購入してくれる人が少しいたりして、日記としてはそれで上々だと思っていた。

そんなアカウントに、最終的に6000件以上もの「スキ」ついたのだからかなわない。なぜこんなことになったのだろうか。

きっかけは怒り

その記事を書いたのは「怒りを覚えたこと」がきっかけだった。

あの日、東京都知事が都民に向けた記者会見を行ったのだが、その内容に衝撃を受けたのだ。

折しも、前日の26日にニュージーランドがいわゆる「ロックダウン」を敢行した。この日のために、ニュージーランド政府は周到な準備をし、閣僚が毎日記者会見を開いて国民に入念な説明をつくし、記者の質問に答えてきた。それを毎日毎日やって、ようやく国民のコンセンサスが得られるか得られないかという程度なのに、「感染爆発 重大局面」とパネルを掲げただけで説明した事にしているあの会見をみて、小池都知事は、都民への説明を救いようがないほど甘くみていると感じた。そんな大雑把で簡単なもんじゃねえぞ、と思ったのだ。

もちろん、東京都だけに限らず、全ての日本の為政者にこれは言えることだと感じた。法律に拘束力がないから、枠組みがないから、を隠れ蓑に、説明責任を果たしていない。それを「ひっくり返るほど」異様に感じたのは、私が海外で実際にロックダウンを行った国の居住者だからかもしれない。いてもたってもいられず、その時の気持ちをそのまま言葉にしたら、想像以上のリアクションが集まってしまったのだ。

調子に乗った私は、前述のマガジンを立ち上げロックダウンが終わるまで「毎日更新します!」とぶち上げた。これが顛末だ。

制御された怒りの表明は真剣な表現になる

「炎上商法」という言葉がある。わざと、人の神経を逆なでするようなことを言って、人々の怒りを買いそれにより結果的に多くの人の目に自分の表現が届くようにすることだ。では、私の記事は、炎上したのだろうか。

個人的にはそうは思っていない。届いたコメントは、概ね好意的なものだったし、否定的なものも言葉遣いが丁寧なものが多かった。そもそも、狙ってやったものではない。自分の日記に、自分の個人的な感情を書きつけて、それがたまたま公の場に出たに過ぎない。

おそらく、私の表現がたまたま、人々が今抱えている言葉にならない「怒り」を代弁するようなものだったので、人々の指が動いてハートマークを押す結果になったのだろう。もっと言えば、サポートまでしてくれた人もいて、本当にびっくりした。

怒りは、爆発物のように制御が難しい感情だ。私は自分の怒りを、爆発(Explosion)ではなく燃焼(Combustion)と呼べるような段階までコントロールして、つまり、「怒り」を「憤り」に変えてから、丁寧な言葉でその外縁をトレースしてみたのだ。もっと正確に言えば、丁寧な言葉で自分の怒りを表現するうちに、私の怒りは、私の憤りへと変化していったのだ。

私は、私がなぜ怒っているのかを、丁寧に説明したいと思った。私が感じているこの主観的で個人的な憤りを、どのように表現すればより近い形で読んだ人に共有してもらえるか、そのことだけを考えて言葉を紡いだのである。

危機対応とは本質的に貧乏くじなのだ。だから、貧乏くじを引いて、負けが確定している作戦の指揮を取り、結果責任を取って退陣する。そこまでが、有事の政権の職責であって、身を引く覚悟のない政権がことに当たって国民を護ることなどできはしない。(冒頭の記事より引用)

怒りや悲しみをとっかかりにnoteを書く

何を危険なことをと、思うかもしれない。noteという自制の効いた独特のカルチャーをもつソーシャルメディアで、怒りを元に文章を書くことは、ひょっとしたらリスキーなことなのかもしれない。

しかし、自分の中の肯定的な感情のみを前面に出し、否定的な感情に蓋をすることは、表現の動機としてすでに嘘くさくないか。見て見ぬ振りをしても、自分が何かに対して怒ってたり、悲しんだりしていることは事実である。どうせ怒るのなら、自分がなぜそれに怒りを感じているのかにスポットライトを当てることは、むしろ健全ではないか。よくみてみると、怒りや悲しみを動機にして書かれたnoteには、評価の高いものが多い。

ビジネスと表現

そうは言っても、noteでビジネスをやる場合は、話は別だ。有料noteを定期的に売っていこうとなった時に、いくら自制が効いていたとて怒りや悲しみをつねに主題にしているような人から、モノは買いづらい。また、真剣に自分の怒りを見つめれば見つめるほど、表現が政治的になっていくものだ。商売と政治は相容れないので、その点は注意したほうがいいだろう。

しかし、あなたがもし表現をしたいのであれば、自分は今何に怒っていて、何に悲しんでいるのか。そのことをじっと見つめることは、非常に有効だ。

なぜなら、強烈な「自分ごと」である怒りや悲しみは、人を動かす強力なちからを持っているから。そのちからは、書き手にnoteに向かう動機を与え、読んだ人にリアクションを強制する。私の中に怒りがなかったら、30日間も書き続けることはできなかったかもしれないし、6000件のスキをもらうこともなかっただろう。真剣さが違うのだ。

あの記事についたスキは、私の実力でもなんでもない。ただ私の怒りがうまくみんなの怒りに同調し、リゾナンスを起こしただけだ。その証拠に、マガジン内で続く後の記事は、200件も行かない。

コンスタントに二桁のスキを得る方が、6000件のスキを一回だけ得ることよりずっと難しいのだけれど、あの記事は私に、怒りが真剣な表現になりうることを教えてくれた。件数そのものより、そちらの方が収穫だったといえよう。

一つだけ注意するとしたら、丁寧に言葉を紡ぐことだ。むき出しの怒りは、むき出しの怒りを引きつける。「爆発」ではなく、制御可能な「燃焼」となるよう、丁寧に丁寧に、自分の憤りを言葉にしていこう。

さて、言いたいことは言い切った。あとは、ちょっとしたノウハウ的なもの、私が文章を書く時に気をつけていることを、以下に羅列して終わりたい。

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文章を書く時に私が気をつけていること

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