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人を憎むことのコスパ悪すぎ問題

人間、殺意を抱くレベルで憎い相手の1人や2人
生きてりゃ普通にいるもんだろう。
(そんな奴いないという大人は、間違いなく人生の勝ち組)
負けず嫌いな人で、その憎しみをバネに成功する人もいるだろうが
そういう人はそもそも、自分の人生にちゃんと向き合ってるだけである。
何年も憎み続けてるような人間は、脇見運転みたいな人生で、菌類の生い茂りそうなメンタリティで生きている。そら成功もクソもない。
憎しみは燃費が悪いのだ。


そもそもなんで憎いのか

理由は様々あるだろうが、大抵は自分が嫌な思いや大変な思いをさせられた相手だろう。
そしてその相手は、憎まれるようになった事柄について、ほとんど意に介していない
形だけの謝罪や解決によって、自分が納得していないまま、相手は平気な顔をしている
その天秤の傾きこそが憎しみを増長させているのだ。
実際に、やられた事と、その清算が釣り合っているかどうかは他人がどんなに釣り合っていると思っても、当人がそう感じなければ憎しみは増すばかりになる。
要は、自分では折り合いの付けられない感情の投げつけ先こそが、憎しみの対象者なのだ。

憎むことにメリットはあるか

憎むメリットはある。が、同時にこれが憎しみを捨てられない原因でもある。
前述の通り、自分では折り合いの付けられない怒りや羞恥、悲しみなどを「あいつのせいだ」と投げつける事で、自分でその感情を処理することから逃れることが出来る。
だって、自分が悲しいのも苦しいのも、あいつのせいだ!と憤慨していれば、「なぜ自分がこんなにも辛い気持ちになっているのか」という疑問と向き合わなくて済むのだ。
なので、精神的な負担を憎しみで軽減しているともいえる。しかしこれによって、「自分で自分の感情を処理しなくて済むこと」に依存していく。
憎まなければ、自分がより辛くなるから、憎むことをやめられなくなる

だいたい麻薬と一緒

憎しみはエネルギーを多く必要とする、高カロリーの感情だ。
そんなもんを月に何度も、時には日に何度も繰り返していると、とてつもなく消耗する
忘れようと思っても、琴線に触れると途端に思い出して、何度も憎しみを反芻する。
怒りが新鮮なうちは、まだ感情の体力もあるのでそれが可能だが、そのうちスタミナ切れを起こす。
身体がスタミナ切れをしたら、ばたんと倒れて何もしなければ、勝手に回復していく。
精神はスタミナ切れしても、人間は思考をやめることはできないので、無理やり脳を働かせることになる。
そのためにまた、憎しみを引っ張り出して、震える手で縦1列にテーブルに置いて、鼻で一気に吸い込んで「自分がこんなに疲弊しているのはあいつのせいだ!」とキメるのだ。
習慣化した思考プロセスは、どんどんと憎しみ依存に拍車をかけていく。

復讐は特効薬か

「復讐は何も生まない」
という主人公的な考えには、甚だ同意しかねる。
復讐は、なによりスッキリする。スッキリするのだ。
前述した「やられた事と清算事項の天秤の不釣り合い」を自分で釣り合わせられる唯一の方法が復讐だからである。
なので、私は復讐できる手段とタイミングがあるのならば、配慮や遠慮をせず、最大限の復讐をした方がいいと思っている。
が、しかしこれは、あくまで自分への不利益が無いか、最低限であることが前提だ。
ここが憎しみのコスパの悪さの最大点である。
たいてい復讐したいほどの憎しみは、時間を置いて形成されていく。
そうなると、自分への不利益がない最大限の復讐が出来るタイミングを逃していることが多い。
自分の中で「今がまさに復讐の時」と思っても、相手や周りの人間にとっては「あの時終わったこと」「何を今更」という状態になる。
そうなれば、復讐をすることで、自分への不利益が大きくなってしまう。
特に天秤の釣り合いを自分で設定すると、それは周囲から見れば過剰な攻撃と捉えられる場合がほとんどだ。名誉毀損だの、傷害や器物破損だの、捨て身ならばまだしも、そうでないならあまりにもデメリットが大きくなる。
つまりどんなに強く長く憎んでいても、自分へのダメージなしに、相手に復讐出来る方法は基本的にないのである。

因果応報に縋らない

では、自分で手出しが出来ないならば、スピリチュアルな方法で、相手をポア出来ないか、などと呪術に手を出そうと思うかもしれない。
この世に呪いの類が全くないとは思わないが、「呪いが効く人間は呪いをあると思っている人間だけ」とも思っている。
全く効かない人間を呪っても、呪ってる自分がまた憎しみから離れられない時間を過ごすだけである。
また、因果応報が必ずある、と信じ過ぎない方がいい。
因果応報で相手に報いがあったとして、それを自分が知るためには、常に相手の動向を気にしていなければいけないし、因果応報なんてなんのそので、普通に幸せに過ごしているのを見続けていたら、また復讐してやろう、と憎しみを引っ張り出して捏ね回すことにしかならない。

じゃあどうしろってんだよ神様

どうしようもないのである。と神様もため息を着くことだろう。
今引きずってる憎しみを完全に忘れることが1番だろうが、そんな事が出来たら苦労しない。
「憎しみが向くのは、自分が充実していないから」などと「お腹が空くのは食べ物のことを考えてるから」みたいな暴論をぶつけてくるやつもいる。
自分が充実していたって、本当に空腹のようにひょっこりと、憎しみが顔を出してしまうのだ。
憎しみ以外の感情を増やして、脳のキャパシティを他のことに使うのは有効であるが、それはあくまで対症療法であって、根本的治療ではない。というのを心得て、ネネちゃんのうさぎのように時々憎しみを引きずりだして殴りながら、時間薬を飲み下すしか他にない。
敢えて予防をいうのなら、瞬間的に適切に怒れる技術を身につけることかもしれない、と思う。
そもそもやられた瞬間に同じレベルのことをやり返せれば、天秤の傾きが大きくなっていくこともない。
憎しみ依存の人々は、怒りの反射神経が足りないのだ。
なにがアンガーマネジメントだ。クソ喰らえである。秒で許せないレベルを測定して相手を即座にぶん殴る力のほうが、現世には必要なのだ。

このように、憎しみはコスパが悪い。
というような考えを脳内から弾き出して、わざわざこんなところにアウトプットして、全世界に公開している女がいる時点で、圧倒的に憎しみなんて時間の無駄であることが分かるだろう。
憎い相手は脳内でほどよくボコボコにして、市中引き回しのうえ打首をしながら、自分自身は元気に生き
これ以上憎い相手を増やさぬよう、キレたら即殴る練習を絶やさぬようにしていきたい。

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