関曠野「なぜヨーロッパで資本主義がうまれたか」
関曠野さんが面白いので『フクシマ以後 ー通貨、エネルギー、主権』に続いて『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか』について抜き書きしていきます。
「さまざまな思想を自分の実感だと思っている。その結果、すでに過去の遺物になった思想に振り回される。ですから、どうやって自分を呪縛している思想を発見し、排除していくか。これが思想史の作業なのです。ある意味では、究極の無思想であることが理想なのです。そのためには生涯にわたる修行が必要となるわけです」
関さんの方法論はまさに禅そのものだと思います。禅の立場から思想、政治、社会、歴史を総合的に語る人がいたという感動が、ぼくが関さんの本を読んで感じる喜びの源泉です。
「イエスが仏教徒であった可能性は状況証拠しかありませんが、かなりある。イエスはどうみても、ユダヤの伝統からはみ出しているところがあります。そうすると、ヨーロッパ文明2000年の屋台骨だったキリスト教は、歪曲された仏教にすぎなかったことになる。日本人としては、そうした可能性があることを頭の片隅に入れておいていいのではないかと思います」
面白いでしょ!
「ヨーロッパは人類の中で文明を進歩を代表していることになっている。、、ヨーロッパの世界制覇には世界のキリスト教化の要素があります。日本を占領したマッカーサーも本気で日本人のキリスト教化を考えていたようです。こうした進歩の理念が背景にあるから、ヨーロッパ人の世界征服はジンギスカンの征服とは意味が違う。完成された人間としてのヨーロッパ人が未完成な人間たちに真理を教えて文明化してやるということになる」
進歩、進化というのは我々の西洋化された世界では疑われない価値ですが、進歩、進化って本当って問い直すのもよいなと思います。仏教は空ですからね。
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