リン・ツイスト『ソウル・オブ・マネー』

「この「欠乏の思い込み」こそが、私たちの嫉妬と偏見、そして人生との分離を生み出す中心となります。

また、それはもちろん、お金との関係にも深く埋め込まれています。欠乏においては、自分とお金との関係はおそれの対象でしかないのです。

そのおそれはわたしたちに、さらに多くを求め、際限なく満たされることのない状況へと駆り立てていきます。

するとわたしたちはいつの間にか、完全な宇宙との繋がりをみずから断絶してしまいます。

私たちは、本来大切な魂を放棄し、自分の中心にある本当の価値とのコミットメントから、ますます遠ざかっていくのです。

私たちは、断絶と不満足という輪廻のワナに陥っているのです。

この状態から、私たちは「幸せはお金で買うことができる」という営利主義の商業的メッセージを信仰し始めます。

自分の内側を満足させるために、自分の外側にある、あらゆるものを探し始めるのです。

もちろん、私たちは直感的にそれが間違いであることを知っています。

けれども、経済至上主義の文化の中では、このより賢明な「内なる声」を大声でかき消し,私たちは、お金で買えるつかの間の安らぎと心地よさを求めるしか、他に選択肢が無いように感じています。」

「いかなる状況においても、一人の個人から大規模なグループまで、「欠乏の神話」から目覚めるということが、可能性と自立への無力さから変容するための、もっともパワフルな、最初のステップなのです。

アチュアル族と共に過ごした熱帯雨林の中で、わたしは「生まれつき豊かである人間」を見たのです。

より多くを求める代わりに、彼らは、すでにそこにあるものを大切にし、心からケアするのです。実際、彼らの現在の努力は、すでにそこにあるものを大切にし、心からケアするのです。

実際、彼らの現在の努力は、すでにそこにあるもの、森の自然に捧げられています。

アチュアル族にとって、その瞬間の充実と豊かさと共にいることは、お互いに分かち合うことを意味しているのです。

お金の文化で生活している私たちにとっても、お金に対して彼らと同じような静けさと自由を見つけることができます。

私が「充分」という概念について、自分とお金との関係について学んだ、もっとも大切で驚きのレッスンのほとんどは、ほとんどお金を持っていない人たちか、あるいはアチュアル族のように、お金をまったく所有しない人たち、もしくは、想像もできないような環境で生き抜くために非常に手強い現実に直面した人々からもたらされました。」

「私たちは、いかなる状況においても、「欠乏」の思考パターンを手放す選択肢があります。いったん「欠乏」を手放したなら、まったく別の「充足」という、驚くべき真実を発見します。

それは、尺度を超えた経験であり、私たちが創造するものであり、コミットメントであり、それゆえ、自分は自分次第でいつでも満ち足りているのだと深い部分で知っていることなのです。

それは意識的な選択です。

自分とお金の関係において、自分自身の誠実さを表現するようにお金を使うことでもあります。

新しい「充足」という現実を生きはじめるとき、私たちは、そこに自然な自由さを見つけます。完全になるときまでひたすら待ったり、無理に努力を続けるのではなく、すでに自分は完全であるという感覚に基づいて、人生と向き合うのです。

世界に対する「欠乏」という視点を手放すと、そこで滞っていたエネルギーのすべてを、今自分の目の前にあるものに注ぐことができるのです。あなたがそうするとき、想像もしなかった宝物、驚くべき深淵さと多様性のある富さえもここに発見するでしょう。

真実の「充足」から生きること、「充足」から考えること、人生のためにそうした新たな枠組みを形成することは、途方もなくパワフルであり、私たちの時代にとってとても大切なことです。」

「自分が誰であるかの表現として自分のお金を使うとき、あなたの人生は輝き出します。それこそが、本当のお金の存在意義なのかもしれません。

お金にまつわる私たちの物語の多くは、欠乏と問題をベースとした、「堂々巡りの原因究明」と、「今ここには無い解決策の追求」がその中心になっています。その代わりに、もしあなたが、すでにそこにあるものに感謝することに意識を集中させたとしたら、あなたは一瞬で豊かさを経験するでしょう。

あなたは、「充足」を経験するのです。それはとても自然なことです。なぜなら、それこそが、あなた自身なのですから。

私たちが、何よりも重きをおいている「お金」に対する過度の重要性を手放す瞬間、誰もが自分の資産を持ち、それを与え、すべての人が共にヴィジョンに貢献しているという視点を持つことが可能になります。

お金は、単に分かち合いに参加する一つの方法にしか過ぎません。それは、人々が分かち合う資産のひとつに過ぎないのです。

私たちは、「自分が世界に住んでいる」と考えています。私たちは、現実の状況の中に自分がいるのだと考えていますが、実際は違うのです。私たちは、世界に関する自分の会話の中に住んでいるのです。現実の状況に対する自分の思考の中に住んでいるのです。

私たちは世界の中で会話をするのではなく、会話によって世界を創り出しているのです。」


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