人間関係に関する教育とサイエンズメソッド

Iさんから引き続きサイエンズメソッドにもらった質問

人間関係に関する教育システムも存在していないですね。
そもそもどうあるべきかの学問もない気がします。叩き台するもない?!
そこをまず分析しているのならサイエンズメソッドは素晴らしいと思います。
それを教えてください。(笑)

このIさんの問題意識に沿う形で考えてみたいと思います。

まず認知行動療法の紹介していただいたサイトの「認知療法とは」のページを一部引用します。
http://jact.umin.jp/introduction/

抑うつや不安などの精神的な症状を改善するために,認知という側面からアプローチするのです.認知のパターンを修正することを通して,不快な感情の改善を図り,問題解決へとつなげていくこと,それが認知療法の目標なのです.
ここで注意すべきことは,患者の否定的思考(negative thinking)を肯定的・積極的思考(positive thinking)に転換することが重要ではない点です.認知療法は,ある状況をみる視点はいくつも存在すること,その中には患者の否定的思考よりも適応的(adaptive)・現実的(realistic)な視点が存在しうることを,患者が自覚できるように援助します.そして,認知的技法(cognitive techniques)と行動的技法(behavioral techniques)という治療技法を用いて,否定的思考に対する患者の確信度を減じることが繰り返し試みられるのです.

サイエンズメソッドが、Science+Z(Zero)という名前の由来を持っているのは、科学的に人間を探求していくということです。ここでいう科学的とは、根拠がない限り、それは仮説であり、仮説はどこまでも仮説であり続けるという態度です。

認知療法がいうように、確かに、ある状況をみる視点はいくつも存在しますが、サイエンズメソッドでは、どんな認知パターンも実は根拠がないということを確認していくことから始まるといっても良いと思います。

あらゆる認知パターンの根拠は、最終的に各自の五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)と体内感覚を脳が処理して、創り上げた自分だけの世界、言わばヴァーチャルリアリティの中にあります。しかしこの自分の脳が作り出した世界が、事実、実際と一致していると断言することは不可能です。

そのことが自分で腑に落ちると、不快な感情が起きるのは、認知パターンが否定的だからというわけではなく、どんな認知パターンであれ、その特定の認知パターンを事実だと決めつけているからだということが、自分の中の心を動きを観察することでわかってきます。

(認知療法では)治療技法を用いて、否定的思考に対する患者の確信度を減じることが繰り返し試みられるのです.

認知療法は、認知パターンは客観的なものではなく主観的なものだからより好ましいものに自分で変えることができる、自分で自分のプログラムを再プログラミングreprogrammingできるという立場を取っていると思います。

それに対して、サイエンズメソッドでは、肯定的であろうが、否定的であろうが、どんな認知パターンであっても、その認知パターンに対する確信度が、実際はどうなのかと繰り返し探求していきます。

本当はどうなのどろうと、何事も決めつけずに探求していくと、自分の認知パターンを確信し、それはそうだと決めるけることが原因で、不快な感情が起きていたことがわかってきます。

サイエンズメソッドは、認知パターンは客観的なものではなく主観的なものであるという立場にとどまります。プログラムの削除deprograming に留まることで、何事にもとらわれずオープンな状態で、決して知り得ない事実、実際とリアルに向き合い続け、実際はどうなんだろうと問い続けることができます。

端的に言えば、これだけです。
自分の認知パターンを事実だと取りちがえると、これをサイエンズでは「事実化」と読んでいますが、不快な感情が起こる。 なぜなら事実、実際と離れて自分の世界の中に閉じこもってしまっているから。

人間関係において起きる問題は、煎じ詰めれば、この不快な感情です。自分の認知パターンを「事実化」せずに、常に、実際、事実は何だろうと探求し、知ろうとする態度で生きていく限り、どんな人間関係においても不快な感情が起きてこないということです。

とはいえ問題を複雑しにしているのは、認知パターンが言語によって作られているからです。言語とは、人間関係を概念によって抽象化することで複雑なことを時間と空間を超えて伝え合うことができるようになったものだからです。言語の中にこれまでのすべての人間関係の記憶が組み込まれていると言えます。その中にある多くの「事実化」された概念や認知パターンを、私たちは社会の一員として言語習得とともに鵜呑みにしてインストールしてしまっています。
そのもっとも強固なものとして法律があり、制度があり、イデオロギー、常識、約束ごと、あるいは「自由」「義務」「権利」「世間」「所有」「交換」など多くの概念が私たちの中で事実化され、それに基づいて認知パターンを作り上げています。その揺らぎのなさが、本来ただの人間関係であるものが、あたかも「社会」というかっちりしたものがあるかのように思わせます。

「事実化」が私たちを苦しませている根本原因であることを知り、自分の中の「事実化」を自覚していくことで、本来の自然な自分に戻っていくのがサイエンズメソッドです。

「事実化」から自由な自然な状態では「思考のノイズ」は起きません。「思考のノイズ」は不快な感情と同じように、何らかの概念、認知パターンを「事実化」している不自然な状態に対して、自然が鳴らしている警鐘音だからです。

数多くの人が「事実化」を自覚し、決めつけがなくなっていくにつれて、人間関係における不快な感情はなくなり、その結果、それぞれの人が自分らしく生き、人を思いやるようになり、社会も決めつけやそこから生まれる争いなども減り、より協力的で共生的で創造的な楽しい社会へと自然と変わっていくでしょう。

今回もIさんの問いに触発されていろいろと考えることができて楽しかったです。

ありがとうございました!

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