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自分自身でオールを握る

28日目(5月1日)

5月になった。GWに入って、TVでは家にいようキャンペーンがすごい。
ニュース番組のメインキャスターが家にいることを呼びかけたり、家での楽しみ方を紹介したり、それでもまだ営業しつづけている業種にスポットライトを当てたり、頑張っている小規模店の人を紹介したり。バラエティのタレントもそれぞれが別の場所からつなぎ、バーチャルで番組を繰り広げている。

近所では、開けているほとんどの飲食店はテイクアウトを始めていて、道ゆく人に声をかけている。路面店やスーパのレジには透明なビニールが貼られて、店員とお客様を仕切るようになった。

商店街を少し離れると、健康のためにウォーキングやランニングをしている人たちが目立つ。

仕事の多くはオンラインで、行えるようになり、これまで、会って対面で行うことでしかできないとされていたイベントや研修といったことのオンライン化が進んでいる。

生産者を支援しようというfacebookのグループが立ち上がり、18日間で30万人を超える人がメンバーになった。

それぞれがそれぞれの場所で、政府の要請に対応し、良い方向に向かうようそれぞれが行動し、それが日常になりつつある。
ソーシャルディスタンスという言葉もすっかり定着してきた。

人と接することを80%減らす。ということで、多くの人が、家族以外の人と会って話をすることがなくなった。

政府で使われているのは、指示・命令ではなく、柔らかな、「協力」「要請」という言葉だ。それに対して、多くの人や組織がそれにかなり誠実に応えていて、協力的な市民となっている。

私自身も協力的な市民としての生活を日々過ごしていると思う。
ただ、ふと、これは、集団催眠にかかっているのではないだろうか、、、と、いうようなことが頭をよぎったりする。
メディアから情報として入ってくる危機的なことは一つとして、私の目の前に現実として現れてきているものはない。
メディアで報道されることの多くは、特徴的・象徴的な一部の映像を繰り返しながすことで、どこもそのような状態になっていると捉えやすい、ということも知っている。だが、それを覆すような情報もない。
手応えのないオールで船を漕いでいるような感覚になる。

危機への対応という形で、様々な生活や仕事のスタイルを変えていった先には何があるのだろう。
これまで変えようとしていながら変わらなかった古いやり方がようやっと変わったと単純に歓迎する気持ちもある。
同時に、私たちはどこに向かって船を漕いでいるのか?問いが湧いてくる。

これまで当たり前にあったものが崩壊して、次は始まっているが、どう育つのか、育つのか育たないのかもわからない。そういうことが、国レベルから個人のレベルまでに起きている。

こういうときだからこそ、手応えのないオールを漕ぎつづけるのではなく、
自分の軸をもってしっかりと手応えを感じながらオールを漕ぐことがこのプロセスから未来を生み出し、育てることになるのだろうな、と思う。

今、このとき、私が書いたり、歩いたりしているのは、ここから歩む「私」を確認したいのかもしれない。

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