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11年後 (覚え書き)

11年前の3月11日

私は足元に来た海水を
冷たいと思いながら
逃げちゃダメって思いました。
公務員なんだから
まだここにいないと!
って。
死ぬのかな?と思いました。
親は悲しむだろうな
でも、みんなを助けるために
最期まで。って思ったら
許してくれるかな
波はこっちからだから
なるべく見つけやすいところに
いよう。

私なりに
初めて死を覚悟した時でした。
こんなに正義感があるなんて…

ただし先輩が上から
怒鳴って
『いいから上がれ!
 子どもたち連れて上がれ!』
そうだ子どもを守らなくちゃ
近くにお年寄りが逃げてきたら
助けようと構えていた
子どもがいたのですが
この子達に何かあっては大変

その子たちに
声をかけながら
建物の階段を上がりました。
途中、おばあちゃんがいて
みんなで抱えながら
屋上へ

屋上で遅いと怒られながら
私は

『でも、5mから10mって言ってます
 (災害放送)ここはもっと離れているから
 大丈夫ですよね?50mは離れてる』

と寝ぼけたことをいい

『ばか..高さだ….』

力なく返されて
私もガッカリ

『じゃあ
 ここもダメじゃないですか…』

波がどんどん上がって来て
引き波の力が強くて
やっぱり引きの方が強いんだなぁ
と知識の確認を
無表情でしていました。

ありがたいことに
助かりました。

そこから何日か出られなくなったけれど
助かったんです。
夜満天の星と
家の方がゆらゆら明るく
燃えていました。
海に浮かぶ船の灯りが見えて
そこだけが現実
こちらは夢なのでは?と
思いました。

まさか11年後の3月11日には
パンデミックの中
土地勘のない場所で産んだ子を抱え
右往左往していて
占い師になっているなんて
想像すらしていませんでした。
1ミリも!

働いていたらお給料の心配はないし
1人で生きる覚悟は
直前にしていた離婚のおかげで
できていたし

何がどうなってこうなったのか

でも全てがあって
今があります。

避難して来た方と一緒に過ごしながら
前向きに
したいことを見つけていました。
絶望の中で
やりたいことを見つけるなんてね

美談が多いところ申し訳ないけれど
すっごく良い人と
すっごく悪い人を
目の当たりにしました。
疑心暗鬼が取れたのは
ここ最近です。

今いる周りの人が
変わらずにいてくれたおかげ
出会った方々のおかげで
直接そのことを話さなくても
私の心を解してくださいました。

私の中で
やっと次のフェーズとなる感覚です。


災害が増えていて
パンデミックの
今です
この時に
TVをつけたら
がれき
壊れた建物
応急処置みたいな橋を渡る人
何よりも
不安に怯える人々の顔を見るのが辛い。

これが人の手によって
始まったことだなんて
こんな悲しいこと無いです。

11年前に
描くことができなかった今に感謝し
まずは自分を平和に
そして
世界が平和になることを祈り動き
少しでも笑顔が広がるよう生きていきます。

皆さん
ありがとうございます。



サポート光栄です。ありがとうございます!!!!