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源義経と刀のはなし-義経刀はいっぱいある-

平安後期の英雄「源義経」の所持していた刀と言えば、

「今剣」「薄緑(膝丸)」

の二振が有名ですが、義経のものとされている刀がこの二振の他にも伝承が存在し、現存している刀がある事はあまり知られていない。(気がする)


■短刀でも太刀でもない鞍馬寺の「車太刀」


京都・鞍馬寺と言えば義経が幼少期・牛若丸の名前を名乗っていた頃に過ごした事で広く知られている場所。
ここの本殿の奥にある宝物殿に義経のものとされる小太刀が展示されてます。
写真撮影は禁止ですが、鞍馬寺のサイトに小太刀の写真掲載されています。


■押型のみ伝来している「友成作の短刀」

「長享銘尽」という室町時代の古い経典の裏に書かれていた刀の記述を集めてまとめた書物があります。
名刀カタログみたいな本です。

この本の友成作の項(リンク先では13コマ目)に

「九郎判官義経ノ鞍馬多聞天ヨリ盛得金造此作也。」

とあり、これは

「義経が鞍馬の頃から持っていた友成作の金造りの短刀だよ~。」
という説明と共に押し型らしきものが掲載されています。

今剣と混同されますが、今剣は非実在な上に、三条作・拵えは紫壇…とこれとは異なる点が多く元になった刀かもしれないし、別に短刀が存在していたのかもしれない。否定も断定もできない感じです。


■岩手県紫波町に伝わる「短刀・天國」

実はネットでこの短刀の情報が一切ありませんでした。
NHKの教養番組「歴史への招待」制作チームによる現地取材をまとめた本に記載があります。(残念、絶版です)


短刀が入っている箱には笹竜胆の家紋と「判官義経神社」の記載。

白鞘に「天國 長サ壱尺弐寸」とあります。

北へ逃げる途中に義経が所持者の方の先祖のお家に寄った際に置いていったと言い伝えられています。

鞘から抜くと良くないことが起こる。
女性は触れてはならない。等、お家独自に伝わっている事があるようでした。
戦で振るう為の刀ではなく、最後の時に使う刀なんだとか。

個人蔵のこの短刀は昭和50年頃の取材で現存が確認されてますが、現在はどうなっているか不明です。(検索しても情報がない為)


■大山祇神社に義経が奉納した「薙刀」と「太刀」

愛知県今治市にあるすごい神社「大山祇神社」
なにがすごいのかというと、ここには日本の重要文化財の甲冑4割がここに集まっている。4割て。
一般公開していて写真撮影は禁止されているものの図録が充実しているので武具好きには天国の様な場所。
ここに義経が奉納したとされる

無銘の「薙刀」有綱作の「太刀」

も展示公開されています。
その他にも義経が奉納したとされる鎧や弁慶の薙刀等、日本で一番源平合戦の武具が沢山見れる場所ってここじゃないかな…

■吉水神社に存在していた「備前友成作の太刀」

これも実はネットで検索しても出てきませんでした。
ソースは昭和42年に山田書院から発行された日本各地に伝わる伝説を現地の写真付きで紹介している
「伝説と奇談 第2集 近畿編①」に掲載されてます。(絶版です)

義経が京都から逃げる際、奈良・吉野へ寄った事は広く知られており、現在でもこの吉水神社にはたくさんの義経一行の遺品が展示されています。

2016年に吉水神社に行ったのですが、本に掲載されている義経の太刀はありませんでした。
検索してもヒットせず、2000年代に奈良周辺で重要文化財の盗難があった事はわかったのですが、備前友成作の義経の太刀が今どうなっているかは不明です…。


■平成に発見された「短刀・ほうき星宗近」

個人蔵。
知ってる人も多いと思うので、この短刀については割愛。



■「源義経の刀」

長年に渡り多くの人に愛された軍記物語「義経記」に登場する
非実在刀の今剣
平家物語を始めとした人気作に度々描かれる薄緑(膝丸)
(大覚寺、箱根神社にそれぞれ同名刀が現存)
義経刀では最も有名で親しまれている2振。
ここで紹介した刀同様、昔すぎるあまり色々な伝説が残っていますが
本当かどうかわかりません。
当時大鎧が家1個分のお値段だった時代にあれだけの活躍をした義経なら
沢山の刀を持っていたんだろうなあって思います。
本当かどうかはわかりませんが、本当だと思いたければ思えばいいし、
もし本当ならここで紹介した刀達がどんな時期に義経の手に渡り、
義経のどんなことをみてきたのか想像するだけでもとても楽しいなあと思うのです。

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