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千夜蹴行 第六夜

「アフロビートの響き」

ジャンボ!ちょいとアフリカ式の挨拶でスタート。さ~て、今日はアフリカ選手の話でも行ってみますか。最近のサッカーシーンでは アフリカの選手の活躍は当たり前になってるけどね。セネガル、ナイジェリア、カメルーン、南アフリカ、などなど。彼ら独特の、運動神経が生み出すアフロビートの響きはなんとも言えないテイストのサッカーだよね。何か、超人的な驚きを与えてくれるよ。
 昔のサッカーシーンを思い起こして、まず浮かび上がるアフリカンはなんと言っても、「モザンビークの黒豹・エウゼビオ」。

 もっとも、 エウゼビオは、アフリカの選手では無く、ポルトガルの選手として有名になったんだけど。彼の出身は、当時のポルトガルの植民地・モザンビークなんだな。 1942年生まれ。15才でスポルディングクラブに加入し、1960年にベンフィカリスボンに移籍。65年にはヨーロッパ最優秀選手を受賞。1966年ワールドカップ・イングランド大会では、得点王にも輝いているね。彼を見いだしたのは、ハンガリー人の監督ベラ・グットマン。グットマンが友人のブラジル人カルロス・パウエルに依頼して発掘してもらった若くて優秀なストライカーが、エウゼビオだったわけだね

 ベンフィカリスボンの監督だったグットマン。ライバルのスポルディング・リスボンも当時エウゼビオに目を付けていた。グットマンが逸材を手に入れた時の密談は、彼の行きつけの床屋さんで行われたと言われてる。面白い話だ。
 エウゼビオは同じストライカーとして、あのキング・ペレと良く比較された。ペレの華麗なゴールに対し、エウゼビオのゴールは、重たくて、力強いものでハンマーパンチなんて言われてたね。重く強烈なシュートと、導火線を走る火のような激しい動き、 彼がディフェンスにシャツを引っ張られながらも、突進して行く姿は大迫力だったね。でも、悲しいかな植民地出身の彼の評価は、あまり高いものではなかったんだ。 いまでは、人種差別は大きな問題と言われているけど、当時はかなり激しいものだったことが予測できるよね。そんな過去に遺恨も残さず、その後のエウゼビオはベンフィカの役員を務め、さらに、2004年ヨーロッパ選手権開催のポルトガル決定にあったて一肌脱いでるわけだ。う~ん。彼のおごることのない素朴で素晴らしい人柄を感じさせるよ。まったくね。

 大地を踏みしめるように、重厚に走るエウゼビオのドリブル。その響き渡るドラムの響きこそ近代サッカー界における「アフロビート」原点なのかもしれないね。 これからもサバンナからやってくる宝石たちからは目が離せないね。楽しみ、楽しみ。

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