観測者の覚書。
或る人が、「僕は青春をしていない。」と云う。
中高生時代の異性間の青春をしていないからだそうな。
20後半になれば青春ではないと云う。
だから青春をこれからも出来ないと云う。
青春コンプレックス。
友人は30を過ぎて初めて青春をしている。
これは事実なのだ。
シナリオライターも驚きの現実だ。
初めてのデートも、初めての嫉妬も愛情も。
何もかも互いが初めての経験なのだ。
それは過去と関係なく、
互いが人間として、
初めての感覚なのだと云う。
サカナクションのMUSICという曲がある。
PVを見る度に自分を想像する。
彼らの生まれを観て、観測する。
観測者として彼らを観て、シナリオを想像する。
彼らの現実の歴史は私のデータに蓄積され続ける。
そして、また観測を続けるのだ。
観測者として知っている事実は、
「人生に於いて遅れているという事は何事もない。」
という事実だ。
機会は人それぞれだ。
只、逃したような感覚が焦らせてしまう。
只管答えよう、貴方は貴方の時期なのだと。
一般論など何も関係が無い。
出した答えがそれ以外にない。
只、それだけ。
私は知っていた。
「子を望んで愛を契約した2人は相性が悪く、子が出来づらく、
社会的に不運が加速し、孤独が増す将来が待つ2人だと。」
「しかし、きっと2人の強い愛が、この不運な将来を乗り越え、
孤独を受け入れ、その永遠の契約をしたはずだと。」
愛し合い、契約した彼らのシナリオ。
知っていた。
現実は冷酷だった。
知らされたのは2人目も喪失。
想定内とは云え、喉が痞える様な気分だ。
如実に繋がる事実を受け入れるのにまだ慣れていない。
永遠に爪を研ぎ続けている。
見せないのは、良い未来も悪い未来も、
強ち分かってしまうから。
まだ若く、命に触れていない頃は、
掌に不安な人を沢山載せて、
幸運に乗せる事をしていた。
特に分別もなくだ。
今は求められない限り掌に載せない事にしている。
意識して言わない様にしている。
幸いの軌道に乗せるのは簡単なのだが、
「それを本当に幸いと思うのか」
というのが単純な理屈だ。
鬱病の闇深さが深淵と狂気を齎して、
自身たらしめるなら、
抜け出さない感覚が自身を正当化するなら、
失わないアイデンティティ。
釣り上げる事が幸いと言えるのか?
深海魚は急激な水圧変化に耐えられるのか?
望むのは更なる深み?
地熱と水圧で破滅したい?
契約した愛は歪めども、
深く繋がった者共、諸共。
沈んでしまいたい、深海まで。
そしたら幸いナ。
腫れ物に触るような愛も、
抉り、引き摺り出したい愛も、
何処までも連れて行ってあげられる。
シナリオは天国も地獄も連れて行ける。
だから今は内緒。
でも貴方が望めば、何処へでも。
こんな場所で出会えたご縁に感謝します。貴方に幸せの雨が降り注ぎますように。