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夏休みは終わるのに

憂鬱だったという記憶はないが、楽しみだったという記憶もない。
夏休みの宿題は早めに終わらせるほうだったので、割とゆったり過ごしていたような気がする。夏休み明けのテストに備えて英気を養う感じだったろうか。何となく、センチメンタルな気分になっていた事は覚えている。あ、今年もまた何も成し遂げられないまま終わっちゃったな、みたいな。

十年前の事件を「この前のアレさぁ」と言ってしまうような年齢になった今、具体的に思い出せる事柄は大体楽しかったことばかりだ。怠い、辛い、もう嫌だ、しんどい、何で私がこんな目にと、大学生の私も高校生の私も中学生の私も小学生の私も割と本気で思っていた筈なのに、なにをそんなに思いつめていたのかいまいち思い出せない。所詮その程度のことだったのだ、と当時の私に言ったとして、彼女はどう思うのだろうか。何にもわかってない! と憤慨するだろうか。するだろうな。私にとっては取るにならない問題でも、彼女にとっては死活問題だったのだから。彼女は私自身なのに、私は彼女を理解することができない。ごめんね。

生きていれば良いことがあるけれど悪いことの方が多い気がする。数えて比べてみれば同じなのかもしれないが、良いことよりも悪いことの方が沢山あるように思えるし、悪い事というものは何故か連続するもので、この世は地獄なのか? と思ってしまう。良いことがあったって一寸先は闇だし、お先真っ暗。老後が不安だ。むしろ不安しかない。人生って、長過ぎないか?

夏休みは終わるのに不安な気持ちに終わりはない。それでも生きていくしかない。而立過ぎても不安ばかりの毎日だし、不惑を迎えてもなにがしかの不安を抱えて過ごしているのだろう。でも、十代の私が抱えていた不安を今の私が忘れてしまったように、そのうち忘れてしまう不安だから今はしっかり抱えて生きていこうと思う。重過ぎてもう既に嫌になっているけどね。

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鬱との共存を目指しながら詠んだり書いたりしています。