映画『Lady Bird』に寄せて

映画を勉強していると人に伝えるたび飽きるほど聞かれてきた。
「一番好きな映画は?」

その度に「Lady Bird。」と答えてきた。
4年間もそんなことをしていたら、いつの間にか私の中でその映画は私のアイデンティティを示すための暗号、シンボル、記号のようなものに置き換わっていった。
その映画自体が私の中で形骸化し、その映画が好きだと口に出すたびにどこか、私の口から出る「Lady Bird」というタイトルと、私の中のその映画への愛とその映画の中で過ごした時間とが、かけ離れていった。
身体に薄っぺらい、『Lady Bird』というステッカーでも貼り付けて歩いているような、そんな嫌悪感すらいつしか抱くようになった。

高校生のとき貪るように映画を見ていた私はもはやどこかへいってしまった。
大学生の私は、その頃の輝きの残像を一生懸命取りこぼさないようにだけ貼り付けて歩く、そんな軽率さを見に纏うことでしか己が形を保つことができなくなり、いつしかその象徴であるその映画を見ることさえ避けるようになってしまった。


2、3年ぶりに、Lady Birdをみることにした。
はじめて見た17歳のとき、これは私だと思ったのをよく覚えている。
21歳になった今日も、これは私だと、強く思った。
しかし月日を経て、それは全くもって違う意味での私の映画になっていた。
この数年で私の中に新しく積もった、人生で見、感じてきたことが、新たにその映画の中から掘り出されるような意味で。
何度見たか分からないのに、新しく新鮮な形でその映画と再会することができた喜びに、初めてこの映画をみたときの当時の私に噴出したどうしようもないこの映画への恋慕の情を思い出した。


この映画と私とを、振り返って考えてみる。
この映画は、私にとって映画への恋の始まりだったと思う。
どうしようもなく強く、言葉にならないほどに、この映画と近くにいたい。そのために、作りたい。と感じたことを覚えている。
それはまるで呪いのように、風、草木、空の色、私が生きているこの時間、たしかに感じている愛、叶わないすべてへの恋の気持ち、そういったものを、ただ残したいと私に常に思わせた。
それほどまでにその映画は美しかったのである。
17歳の私は、意気揚々とその世界に向かっていった。希望や、可能性に満ち溢れていたと思う。

21歳の今日、その映画を通じてあの頃の17歳の私の情熱が私の中で蘇った。
しかし今日は、その私を俯瞰して冷たく憐れむ私がいた。
この3年間で、自分が特別でもなんでもなかったこと、そして物事は実らないことが大半であることを知ってしまった。
A24というロゴを最後に見て、なぜか失恋を突きつけられたような気がして、心から湧き出るように強く悔しいと感じた。どうしようもないものに対して、子供が泣くように、ただ悔しいと、そんな気持ちが湧き上がった。

このあとの人生でも映画を作り続けていたかったと強く思う。
そしていつか、自分が納得できるくらい美しいこんな映画を作りたかったと思う。
そのために、走り続けていいのだと無邪気に思えてしまう。

映画は私に無責任に夢が叶うことの素晴らしさを教え込んだ。
そして、夢を与えた。
本当になんでもない私が、どうしようもないことを叶えたいと思ってしまうくらいに、私はそれを信じていた。今も信じてしまっている。

その結果、この3年間いろいろなことを知った。映画に飛び込んだ先で、あらゆる恋に落ちたり、幸せを噛み締めるような瞬間を過ごしたり、心から怒ったり、震えるほどに美しい連帯を見たり、失望して自分を嫌いになったりした。悲しいこともあった。

映画への恋はここでは叶わなかったかもしれない。けれど、映画を作る過程で体験したこの感情は、全てが紛れもない青春であり愛おしいと思う。それらとともに在れたことは、もしかしたらある意味で叶えられた夢なのかもしれない。
映画は私にYESとはいってくれないけれど、でももがき続け得たものがないとは思わない。それら全て、『Lady Bird』に近づきたいと思って走り続けて得たものならば、この映画は文字通り私の人生を変えたと思う。

私は一生この恋に囚われて生きることになると思う。
だから私は、少し諦めたようなふりをしていつも泣きながら悔しいとか嘆きながら、苦しみながら作り続けることになると思う。

たかが映画一本、それだけである。
だけど、でも、これほどまでに好きな映画だ。
人生で唯一無二だと思う。人との出逢いのように、私はこの映画のような一本に未だ出会えたことはない。出逢いたいとも思わない。

それほどまでに愛しいと思える作品に出会えて、本当に幸せだったと改めて感じた。

p.s.卒制頑張らな、、




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?