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人にもっと向き合おうと決めた〜anagonの日記 3/27〜


はじめに


今日はなんだか精神的にとても疲れた日でした。
人間って難しいな、コミュニケーションって難しいな。


①今日あったこと

1.脚本の見直しをした

みんなで作っている映画の脚本を改めて見直すのと、そもそも映画を撮るのかっていうのを、改めてみんなに聞きました。
言葉を選ぶのも、場の雰囲気も、自分の口調も、すごく気にしなきゃ行けなくて、人の色々な感情とか表情が見えてしまって、正直めっちゃしんどかったです。
自分の中にも色々な感情があって、悲しみとか怒りとかやるせなさとか負の感情も出てきたり、喜びとか楽しみとかも出てきて、とっても自分の感情に振り回されました。


2.めちゃくちゃ寝た

話し合いが終わって、どっと疲れが来たので、昼から夕方までずっと寝てました。
変な夢みちゃってあんまり安眠はできてないけれど。

3.夜ご飯が美味しかった

まりこと桜子が、今日は豚の角煮とアヒデガジーナ(ペルー料理)風の野菜プレートを作ってくれました。
これがめちゃくちゃうまくて、幸せすぎました。
ありがとう。


②今日思ったこと

1.幸せになるのはそう簡単じゃないけれどって話

僕は、自分が居心地のいい空間にいられないことが一番ストレスフルで、自分らしくあれないので、もし今いる空間が居心地の良いものでなければ、色々と働きかけたりして、なんとか自分にとって居心地の良い場所にしようと思っています。

自分にとって居心地の良い場所というのは、みんながストレスフリーであって、楽しく荒れている空間なので、誰かが何かを抱えていたり、誰かが心を閉じている状況っていうのは僕の居心地の良い空間ではないです。

ただ、この空間を作るために働きかけるのは良いけれど、そこにおいて自分の精神が削られたり、頭と心がぐちゃぐちゃになるのがすごく嫌っていうのがあります。

人はすごくみんな繊細で、言葉をちゃんと選んで、丁寧に一人一人向き合わないといけない存在だけど、自分がそれを完璧にできるわけではなくて、今日みたいにそこまで強く言わなくても良いことを言ってしまったり、言葉のチョイスをミスったり、怒りの感情に少し傾いてしまったりして、どんどん自分の精神が削られていくのを感じた時、

正直、こんなんなら一人で音楽でもしてる方がマシだなって思ってしまいます。

みんなが幸せな空間に自分があれたらと思うけれど、それを作る過程が時々とてつもなくしんどい時があります

でもそこを諦めてしまったら、全然自分らしくあれない環境しか自分を待ってなくて、
じゃあどっちを耐えるのかってなったら、やっぱり人に向き合っていって、自分が居心地よくあれる場所を作っていく方がいいと思います。

だからこの日記は、自分にはこういうところがあったっていうのを、将来自由に自分がいつでも居心地良くあれるようになった僕が、見返すために書いておきます。


2.もっと人に向き合おうって話

この軟禁生活にどんな意味があるんだろうかって考えた時、最初は「いつも日本では一人でいることが多いから、神様が今人と一緒にいる素敵な時間をくれたんだ」とか思っていたんですが、
軟禁生活が伸びて、いやちげえわってなりました。
「お前はもっと人に向き合え、そしてもっと人間として成長してこい」っていうのを言われてる気分になりました。

前に「お前は人を見る目がない」って言われたことがあって、そのときに妙に納得が行った自分がいて。
実際、人とちゃんと向き合ってるのかと言われれば、そんなに向き合ってないです。
だからその人をあまり見てないわけで、見る目がないのは当然やなって思いました。

人に興味がないわけではないけれど、人をそこまで知ろうとも思わない節があります。
単純に疲れてしまう
人の悩みは本当に人それぞれで、だから明確な答えを見つけにくいし、一回話したくらいで解決できるようなものでもなかったりするし、
でも僕は答えを急いでしまいがちだから、答えがわからないこと、答えが出るまで時間がかかることっていうのに疲れてしまうんだと思います。

でもそのくせ、自分の悩みは結構人に聞いてほしいんですよね。とってもエゴだと思います。
話すにとどまらず、曲の中に自分の悩みを詰め込んで、みんなに知らず知らずに聞いてもらうっていうことだってあります。

自分はたくさん聞いてもらっているのに、僕は人に心から向き合ってない時がある。
そんな自分をもっと良くするために、この軟禁生活があるんかもなって思いました。

人生はやっぱり修行やなって思いました。


終わりに

明日は少し気楽に行きたいなって思います。
ペルーから日本帰れた人が半分くらいいるって聞きました。無事に日本について何よりです。


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