ヨルシカがヒトになった話

ライブツアー「盗作」のネタバレを含みます

ヨルシカのライブに初めて参加しました。
感想というより、支離滅裂な私個人の内面で起こった話となると思います。
要は推しが私の中で燃え去って、その灰の中から骨と心臓と皮膚を持ったヒトが出てきたというだけの話です。

私はヨルシカが好きでした。
ヨルシカになる前のボカロPのn-bunaさんも好きでした。
そもそもボカロ(というか音楽)に最初にハマったきっかけは、
千本桜でもマトリョシカでもなく、透明エレジーでした。

大学に入ってヨルシカを聴き始めました。
「負け犬にアンコールはいらない」のアルバムをタワレコで購入し、
夜に散歩しながら何度も聴きました。

サブスクが解禁されても、アルバムは全て物としても購入し、
「だから僕は音楽を辞めた」「エルマ」の手紙や写真、日記を
何度も読み返しました。

これらの作品は私にとって、意味の中心だったのです。
言葉という記号表現の循環論法にやっと一つの定義を与えてくれた、
船から降ろされた錨のようなものでした。
それまで「実感」という単語が何を指すのか、理解できなかったのです。
この音楽や作品たちにこそ、真実があるように思えたのです。
私はヨルシカに心酔していました。

大学に入って、賢治や子規のような文学を手に取った。
フィルムカメラも買ってみたし、コーヒーの淹れ方も調べた。
新曲が「月に吠える」で、朔太郎をその前から読みだしていた私は、
自分が真の理解者であるような心地さえしていたのです。

だから今日のライブを観た後、
自分がどうなってしまうのだろうという興味がありました。

そもそもなぜライブに行くのだろうという疑問も沸きました。
アルバムにはないアレンジを聴くため?
ライブだからこそできる演出を体験しにいくため?


最初の、独白は意外でした。期待感が募りました。
やはりヨルシカならやってくれるだろう。
私に新しい世界を開いてくれるのだろう、と。

しかし最初の3曲をバンド編成で聞いた時、
「音源と同じじゃん」
と思ってしまったのです。
そこにあったのは再発見でした。

それがどれほど難しく、また努力の末に為されるのか、
分かっていない私は想像力が欠けているのでしょう。

それでも照明が当たってsuisさんの顔が見えてしまって、
ライブをしているn-bunaさんがとても生き生きとしていて、
私は興奮の一方で、胸の内が冷たくなっていくのを感じたのでした。
「月並みだ」と。


期待に胸を膨らませ、公開初日に観た「シン・エヴァンゲリオン」。
「ただのボーイミーツガールじゃん」と思ってしまった。
その後悔が思い出されて、悲しくなりました。

最近読み始めた、ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』に登場する
快楽主義者が垂れる逆説の方がよほど真実味がある、
そんな風に思えるのでした。


バンド編成の後、アコースティックアレンジでライブは進んでいきます。
あれほど聴きたかった曲の新解釈にも関わらず、
朝からあまり調子の良くないお腹の中の様子に私は度々気を取られていました。
ああ、このまま終わってしまう。


しかし、それでもたった一度だけ、
「盗作」のラスサビ前の
「本当に、本当に綺麗だろうから」
の部分だけが妙に心を打ったのです。

そこで私はようやく気づいたのです。
私は今までヨルシカというユニットを神格化していたのだと。
彼らの紡ぐ音楽、言葉だからこそ意味が宿ると信じていたのだと。

しかし彼らは生身の人間で、
必死にいろんなものと戦い、傷つきながら、
舞台に立って音楽を届けているのでした。
そのことがとても切なく、尊く思えました。

芸術至上主義のn-bunaさんはとても嫌がるのかもしれませんが、
私はやっとヨルシカのsuisさんとn-bunaさんに会えた気がしました。


これは単に、
私が「ヨルシカ」を消費し、飽いてしまったという記録なのかも
しれません。
ようやくヨルシカから卒業できた、目出度い日ですらあるのかも
しれません。

しかしこの「卒業」を認めてしまうということは同時に、
私にとって「錨を引き上げること」でもあります。

何一つ真実味のない、記号表現の海へと乗り出すことが、
恐ろしくてたまりません。
もうこの守られた夢から醒めかけているのだろうけど、
もう少しだけこの意味の世界にとどまっていたい。

彼らがヒトであることを見てしまって、
それを信じたくはないための独りよがりですが、
あなたたちを神さまとして扱うことをあと少し許してください。

きっとこれからも私は何事も為さないでしょうし、
絶対的な意味なんてのも存在しないでしょう。
しかしだからこそ、偶然でも、一瞬でも、
心を揺さぶってくれるあなたたちがいるこの世界が美しいのだと、
証明し続けてくれることを願っています。

どうか。


一緒にライブへ行ってくれた友人へ

今日は一日付き合って頂きありがとうございました。
しかし私は本当に話したかったことが別にあるのです。

ライブのセトリ予想とか、最近の過ごし方とかそんなものは、
実はどうでもよかったのです。

私はあなたに、
いつか「これは本当だ」とか「これこそ真実だ」とか
そんな瞬間を感じたことはあるか
ということを聞いてみたかったのです。

ライブが終わった後に、
鳥肌が立ったねとか、花火が綺麗だったねとか、
あそこのアレンジがとても良かったねとか、
そんなことよりも、
「どの瞬間に最もリアリティがあったか」
今思えばそんな話がしたかったのです。

今日は自分勝手で、どうもすみませんでした。

おやすみなさい。


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