磯山さやかと結婚したい、という内容ではありません

(このnoteは酔っぱらった勢いで書いた駄文です)

私がTwitterで競馬アカウントを立ち上げたのは、たしか大学3回生の頃だったと思う。「競馬新聞の記者になる」という目標を掲げ、手っ取り早いところでなにか行動を起こさねばと一念発起。本当に手っ取り早いところでしかなかったが、まずはTwitterとブログを立ち上げたのだった。

就職活動の末、残念ながら記者になるという目標は夢に破れてしまったが、それからはただの便所の落書き垢として運用を始めた。その中で様々な人との出会いや思い出が生まれ、結果的に見ればアカウントを作ってよかったなと感じている。

人生は機微の連続

ただ最近はTwitterをチェックしたりツイートすることもだいぶ少なくなった。なにか特別な感情があるわけではなく、単純に「理由がない」というところだろうか。たまにめっちゃつぶやきたくなれば気が済むまでツイートし後は閉じる。ふと「あいつ今なにしてるのかな」と気になればツイートを覗きにいく。

専らこんな使い方ばかりしているが、書き起こしてみると極めて当たり前のことしか書いていない。廃人でもなければこれが普通のTwitterユーザーなので、わざわざ「こんな使い方をしてます」と書くほどでもないが、この8年間ばかしで起きた自分の変化の1つなのである。

こんな小さいことでも、日々なにかしらの変化が個々に生じていて、8年も過ごしていれば大きな変化も起きていることだろう。昔はそう信じて疑わなかった己の信条が誤謬であったと感じてしまうほど、人生に一貫性をもたらすのは難しいことなのだ。

先日のことだが、弊社に中途入社してきたおじさんが1カ月でバックレるという事件が起きた。詳細を書きすぎるとあっという間に特定されるためここでは伏せるが、妻子のいる良い歳したおじさんによるあんまりな辞め方だったため、今でもちょっとした騒動になっている。

そんなバックレおじさんにとっても転職は人生の一大変化であったはずだが、ヤバい辞め方をするという周りからみたらただの軽い決断をしてしまう。人にとって変化の大小、決断の重量は異なる良い証左だと思った。

その選択のエビデンスは「個」人生でビルドアップされていくものであり、それを耕し培うエネルギーは機微への気づきなのだと思う。しかもそれはどうやら30代、40代、50代…と進むに連れて、ドライアイスが二酸化炭素に気化するが如く見えなくなっていくらしい。

よく「○○さん、あの年であんぽんたんよな」みたいに言われてしまっている人がいるが、それは恐らく若い時に培えなかった人たちなのだろう。勘が鈍いばかりに、まわりがヤバイ空気で充満しているのに気づかず息できなくなって死んでしまうようなものだ。

そう考えると、些細なことも一々変化として捉える意味が感じられてくる。

ハリボテの城と裸の王様

(なんかすごい意識高いことを書いているように思われると困るので、改めてこのnoteは酔っぱらった勢いで書いた駄文です)

私がこんなnoteをわざわざ書いているのは備忘録に他ならない。気づけば20代ラストイヤーだ。本当に信じられないが来年には30代に突入してしまう。不安で仕方がないから日々自分を戒めている。

幼稚園児の時は小学生が大きく見えた。小学生の時は中学生が大きく見えた。中学生の時は高校生が大きく見えた。高校生の時は大学生が大きく見えた。大学生の時は社会人が大きく見えた。

ところがそれぞれの年代に所属してみると、自分や周囲が大きく見えることはない。「こんなもんか、意外としょぼいな」ぐらいにしか感じないのである。これを自分事として捉えれば「成長していない自分に喝」となるのかもしれないが、人間の思考というものは往々にして「まあ元々こんなもんなんだろうな、自分がよく見すぎてただけ」と、都合よく捉えてしまう。これが罠だ。

自分がヤバイ30代、40代になった時に「深淵を覗いてただけだったな」と正当化するのは簡単かもしれないが、その時置かれている状況を想像してしまうとその一言ではあまりにも溜飲が下がらない。ただ生きているだけでも早く死なせてほしいのに、そんな状況で生き続ける状況を自ら課してしまうのは本当に避けたいことなのだ。

精神衛生上悪い状況を自らの手で作ってしまわないように最後の20代を丁寧に生きていきたい。あとそろそろ3連単当てたいですね。

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