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水辺のビッカと月の庭  二十八回 バスは夜の橋を渡る II 

ビッカとムンカは窓ガラスにはりついて外を見る。
「暗いね。うっすらとしか見えないね」
「今は夜だぞ」
「もう、橋を渡っている最中ですよ」
影男が穏やかに言う。
「バス停もないですよ」とつけ加える。
「橋に一本の街灯もないなんて」ムンカは窓に顔をはりつけたまま言う。
「お月様はどこに行ったかな」ビッカも夜空を見上げて言う。
濃淡のある闇がカーテンのように揺れている。
「大きな川を渡ってるんだね。水の匂いがしてるよ」
「隣町って言ったくせに随分遠そうじゃない」
ビッカは不安そうだ。
「降りるところはわかっているよね」
ムンカも尋ねる。
「ええ、大体」
「頼りになる返事だ」
ビッカは呆れ声で言う。
「橋を渡り切れば右側に丘が見えるはずです」
影男は自信たっぷりに言う。
「行ったことのないくせに自信があるね」
「整備員の仲間内ではそう言われてるんです」
「じゃその仲間は行ったことがあるんだね」
ムンカは明るい声で言う。
影男は口籠る。
「確かな話じゃないんだ」落胆した声でムンカが言う。
「言い伝えなんですよ」
影男は白状する。
「うわさ話とかわんない」とビッカはため息をつく。
「行ったことがあるのはヒロムだけだね」
ムンカもため息まじりに言う。
「一体どうやって行ったんだ」ビッカが口にする。
「やはりバスでしょう」と影男。
「自転車だって持ってるよ。ヒロムの家にあったよ」
窓の外を見たままムンカは言う。
「よく見てますね」影男は感心する。
「公園なら地図に載っている。ブランコ探しに使える。でも水の屋敷なんて載ってるか?」
ビッカが言う。
「大丈夫ですよ、目印は大きな木で、見逃すはずがない」
「どの程度の大きさなの」
ビッカは確かめないと気がすまない。
「それは、でもかなり大きな木らしいですよ」
「まさかそのあたりの公園の木より大きい程度というのはないよね」
フードの縁が点滅して影男は口籠る。
「聞くだけ無駄か」
ビッカと影男とは見通しのない会話を続ける。
窓ガラスに雨粒があたってつぶれる。
「どの水の屋敷だろう」
ポツリとムンカが言葉をもらす。
「え、なにか言った?」
ビッカはムンカの一言を気にとめる。
「どの屋敷って、いくつもあるうちの一つって意味になるぞ」
「そうなの?」のんびりとムンカはいう。
「ムンカさん、水の屋敷を知ってたんですか」
「知らないよ」
ムンカは尾っぽを横にふりながら答える。
「でも生まれて育った湧き水のある家も水の屋敷だって言われてたよ」
ムンカは当たり前のこととして話す。
「どういうこと?」
ムンカは説明する。
「裏庭に清水の湧きでる池があるんだ」
「水が美味しそう」
「昔は飲み水だったらしい。結構深くて鮒も泳いでいたよ」
「魚の楽園みたいだね」
影男がうらやましそうにつぶやく。
「湧きでた水は沼に流れこむんだ」
「ムンカさんはそこで生まれたんですか」
ビッカはムンカと影男のやりとりをぼんやりと聞いている。育った所の話は初めて耳にする。詳しいことは思い出させたくなくて尋ねてない。
「夏になると蓮の葉が沼をおおうんだ。水の中はすっかり日陰になる。花も咲くしね」
「一度蓮の葉の上で眠ってみたいものだ」
ビッカはつぶやく。
「水は塀の水路を通って外に流れ出るんだ」
「それだけで水の屋敷と言われてももの足りないな」
「ビッカ、それだけじゃないよ。堀の幅は広いよ。飛び越えられないくらい。それが広い屋敷をめぐっているんだ」
「ムンカさん、良い所で生まれ育ちましたね」
影男はうらやましそうな口調で言う。
「春には枝垂れ桜を見上げたよ。ありがとう」
ムンカは笑みを浮かべるが下を向いてしまう。
ビッカは眉を顰めて影男を見る。
顔をあげたムンカは言う。
「そう、今はないけれどね」
どぎまぎしたのか影男のフードが薄い青から赤色に変わる。
「聞いちゃってごめんなさい」
「気にしなくていいよ。今だってどこかで水の災害が起きてるよ」
ムンカはそう言う。
「そんな作りの家はけっこうありそうだぞ」
「ビッカさんは、心あたりが?」
「あるよ」
「どこにあるの」
胸を張って当然のように言う。
「どこって、お城がそうだよ」
ムンカはびっくりする。次に腹を抱えて笑う。
「確かにそうだよ。でも」
「なるほど。言われてみれば」影男も笑いながら言う。
「笑ってもらえるほど面白いことを言ったつもりはない」
ビッカは憮然として言う。右目は右に寄り左目は左に寄る。
「城だったら洪水にも耐えられたかもしれないね」
ムンカはビッカを見て言う。
ビッカは深く頷く。
「ほら見てくださいよ」
コツコツと窓ガラスを叩いて知らせる。やりとりを聞きながら外を見ていた影男が声を上げる。
バスは橋を渡りきっている。
「いつまで渡っているのかと思ったよ」
「まだ乗ってないといけないのかな」
バスの室内灯が外にあふれでる。雨粒がキラキラときらめいている。
「光が雨粒のなかに閉じこめられみたいだね」
ムンカが言う。
「やはりそう見えますよね」
影男は確かめるように言う。
「なんだかウキウキしてるじゃないか」
ビッカが言う。
「わかります?」
「だってフードがきれいにはっきりと光ってるよ」
ムンカが言う。
「仲間の言っていたとおりなんですよ。橋を渡り終えると雨が光だしたのは」
喜ぶ影男にビッカは言う。
「喜ぶ理由がわからないよ」
「ですよね。でももうすぐですよ」
「大きな木が見えだすの? 水の屋敷の目印の」
「え?」
ビッカは目玉をぐるりと回す。
「『え』って、どういうことだ。驚くことじゃないだろ」
影男のフードが赤になったり青になったりとあわただしい。
「ビッカ、ビッカ。きっとまだ何か隠してるんだよ」
ムンカが興奮して叫ぶ。
フードが黒っぽく光る。
「お二人には謝罪します。ごめんなさい」
影男はあらたまった態度になった。
「実は最後まで、ご一緒できないんです」
「それって水の屋敷までは行かないってことなの」

続く

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