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ドレッドヘアにして下さい

 夢を見た。
私は美容院にいてケープをかけた姿で鏡の前に座っていた。
「ドレッドヘアにして下さい」
と私はドレッドヘアの美容師に言った。
彼は痩せて白く艶のない肌をしていてその細長い顔とは不釣り合いな大きな丸い黄色のサングラスをかけていた。胸元が深く開いたピッタリした光沢のあるシャツを着て長袖の幅の広いカフスのボタンを止めずにそこからヒョロリと白い腕を出していた。下はパンタロンを履いていてやはりピッタリ張り付くようなボトムではあったが、肉づきの悪い細い脚には似合わず、おまけに履いているブーツが彼の脚をへし折ってしまいそうなぐらい重たそうな代物で底に分厚く付いたヒールがその印象を一層強くした。現に歩くのに支障をきたしていると見えて移動する時はキャスターの付いた椅子に腰掛けリノリウムの床を勢いをつけて滑って行くのだったが、何しろその靴が鉛のように重たく床を勢いよく蹴リたくても骨ばった華奢な脚ではどうにも力が伝わらないのであった。なので彼が移動する時は、彼のアシスタントが椅子の座面、ちょうど脚を開いて座った股のあたりを掴んで椅子を勢いよく転がすのだった。声をかけるのでも、目くばせするのでもない、アシスタントは絶妙のタイミングでそこに現れ椅子を転がし、男が床を滑って行くのを見送っている。それは球を投げ終わったポーズのまま球の行先を見届けているプロボーラーの姿そっくりだ。膝を曲げた右脚を前に脚を大きく開き、股は床に着くか着かないかギリギリのところをバネのように上下している。頭上高く伸ばした右腕は椅子を転がした余韻で前後に揺れている。一見するとややこしい、回りくどいとも思える一連の儀式にも似た動作が美容師と客とのやり取りに滞りを生じさせる事は一切なかった。彼と彼のアシスタント、そしてキャスター付き椅子は一心同体でありひとつの生き物のようであった。
「こういう追求の仕方もあるのですね」と私は感心して言った。
「止まっている、静止しているという状態でこそ、僕が表現したいきゅうきょくのファッションが成立するのです。カンペキ」
彼は「究極」の「きゅう」を何かを絞り出す様なアクセントで言い、「完璧」を手のひらに乗せて頬ずりしているかのようにうっとりと、そして確かめるように言った。
 「ドレッドヘアにして下さい」私は繰り返した。
鏡に映った私はキャスター付きの椅子に座っていた。アシスタントが現れてリノリウムの床を勢いよく転がすのを期待して。

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