高田ふーみんvs河野玄斗 ディベート動画考察



はじめに

YouTuberの1ジャンルに「教育系」「学歴系」なるものがある。「教育系」の代表例は河野玄斗やヨビノリたくみ、日常でんがん、少し亜種だがチェリー東大あきぴで、pispisこうじあたりも含まれるだろう。主に高学歴とされる大学を出ている演者が勉強の楽しさや受験のコツを伝えたり、己の高い学力を活かした企画で視聴者を楽しませる。「はなおでんがんを見て阪大をめざした」と言う人もいたので、進路選択にそれなりの影響力をもつようになっているかもしれない。彼らは己の学歴をマーケティングに使いはするものの鼻にかけたりはしないので、視聴者からも好かれている。

この「学歴を鼻にかける」を思い切りやり、賛否両論分かれるチャンネルがwakatte TVである。京大経済(のちに東大受験のため中退)のふーみん、早稲田教育のびーやまの二人が学歴にまつわる視聴者インタビューをもとにしたさまざまな企画を行うチャンネルなのだが、その際主にふーみんから参加者(インタビューの対応者)に行われる「学歴マウント」「学歴dis」が一種の見どころとなっている。当然、アンチも多く、定期的に炎上している。

今回はそんな「教育系」「学歴系」チャンネルの代表者が①「偏差値は低いが学びたい学問がある大学VS学びたい学問はないが高偏差値の大学」②「雇うなら能力の低い高学歴VS能力の高い低学歴」のテーマでディベートを行う企画を見ての感想や私見を述べる。どちらも、彼らが議論するまでもなくいろいろな人の間で考えられてきたことだと思うが、そこに加わってみたい。

wakatte.TV高田ふーみんとディベート対決したら大喧嘩になった【神回】 - YouTube

①「偏差値は低いが学びたい学問がある大学VS学びたい学問はないが高偏差値の大学」

そもそもふーみんは(キャラの都合もあるだろうが)議論が薄く、河野氏は有能すぎるがゆえに失敗した場合のフォローが少ないと感じた。
今回は、その二人の議論を補いながら自分の結論を出したい。

この議論を行う上で、かけている前提がいくつかある。
一つ目は「そもそもその学問はその大学に4年間通うという手段をとることでしか学べないのか」という点である。
興味ある学問がどんなものか知りたい、という程度であれば本を読んだり(公に推奨はされないし、コロナ後はそのへん厳しくなっている可能性もあるが)大学の授業に潜ったりで可能である。また、やりたい学問の学部学科がその大学にしかない、という場合であってもほかの大学にやりたい学問の専攻があったりその学問分野に近い先生がいる(離れ具合にもよるが、学部の卒論程度なら多少離れていても対応できる先生が多い)といった場合が考えられる。例えば、民族考古学を学ぶにはこの大学しかない!と言って某中堅私立大学に行ったサークルの先輩を知っているが、私の出身大学(慶應)にも民族考古学専攻があり、フィールドワーク含め本格的に学ぶことができる環境であることがわかっている。ここから、こうした情報を高校生の段階でつかむのは難しいこと、大学側が前面に出していなくてもちゃんと学ぶ環境が整備されている可能性があることがわかる。

二つ目、これは河野氏の「進学後に学びたいことがかわったらその環境(=進学先)で新しいことを見つければいい」に対する反論であるが
そもそも高偏差値の大学のほうが幅広く学べたり、専攻を選ぶ前に教養科目としてさまざまな学問に触れる機会が多く、結果的に学びたいことが変わった場合にうまくシフトチェンジしやすいということである。
東大に進学振り分け制度があるのは周知の事実だが、他の高偏差値の大学でも、1年時点は(基本的に進学した学部内での選択にはなるが)専攻を決めず、学部内でさまざまな専攻の授業を取り、自分がこれから何を学びたいかを決める仕組みになっている場合が多い(名大理学部、慶應文学部など)。
ついでに、高偏差値の大学のほうが、そもそも扱っている学問分野の幅も広い場合が多いため、やりたい学問を見つける環境も整っている。
以上から、学びたいことが変わった場合のアフターフォローも高偏差値の大学のほうが優れていると考える。

ここらへんで反論として予想されるのが、「低偏差値の大学に学びたい先生がいる場合」である。この場合も、「その先生でなければならない理由」を深く考える必要がある。専門分野が理由なら、上記のように先生の専門ドンピシャでなくても近ければ学部卒業程度は対応してくれる(その先については院の進学のタイミングで考えた方が良い)し、「学びたい先生」が東工大の池上彰や東京都立大の宮台真司等の有名人の場合は、わざわざ進学しなくても潜りでも授業を聞くことは可能である。また、大学の先生は時々異動したり留学したりするので、先生目当てで大学に行くと専門が学べるころに目当ての先生がいない、ということが起こる(私の友人がそのパターンだった)。

(ふーみんがいみじくも主張するように)低い偏差値の大学に行くことはさまざまな「得」を捨てることになる。「モテ」「高収入」を俗な欲求と切り捨てることは簡単であろうが、大抵の人間はそうした俗な欲求を根底の原動力にして勉強したり仕事したりしている。①のテーマで悩んでいる人がいれば、自分がどこまで学問に身をささげられるか、他の人が「自分より得をしてそう」に見える中で学問の世界で結果を残せそうかは進学する前に考えてもいいかもしれない。

②「雇うなら能力の低い高学歴VS能力の高い低学歴」

そもそも、どの場合を想定しているのか(転職の面接なのか、新卒採用なのか、候補者の年齢や経験値はどのくらいなのか、雇う側の会社の規模)がディベートの二人の間でも定まっていない印象である。もう少しシチュエーションを絞ったほうがよかったのでは…。
ただ、このディベートを見て気づいたことをいくつか。

まず、ふーみんのいう「高学歴はPDCAサイクルが回せるし、誘惑に負けずに頑張れるし、インプット能力が高い」から「有能である可能性が高い」は世間一般の人事が思っていることである。だから新卒採用は学歴フィルターがあるし、高学歴が有利なのである。
ただ、スタートアップの社長でもある河野氏からしてみれば、人件費もそれほどかけられない(から採用で冒険がしにくい)、大企業のようにジョブローテーションがあるわけでもないなかで募集要項に該当する仕事上の実績のない高学歴を採用するメリットは皆無に近い。

そもそもこの議論は「能力のある」になっている時点で河野氏が有利だが、ふーみん側の立場だったとしてあえて反論を試みるとするならば「「能力がある」とされるのはあくまでその仕事(営業なら営業)の場合のみであり、さまざまな状況の変化により他の仕事を任せたいと思った場合に、経験していない業務でもやり方を吸収してできるようになるスピードはインプット能力の高さが証明済みの高学歴のほうが高い」あたりになるだろうか。
結論、仕事の実績がない20代若手は学歴によるポテンシャルが結構重視されるが、それ以降は仕事の実績が重要であるということだろう。

おわりに

仕事と学歴という多くの人が一度は気にする分野ゆえにコメント欄にもさまざまな立場からさまざまな意見があった。ふーみんと河野玄斗、どちらの意見もわかりつつ、ただ経験上高偏差値の大学に行くことで損することは少ないので、受験生には勉強を頑張ってほしいと思う次第である。



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