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合図を聞け

瘡蓋をめくるときの、罪悪感を背に全てを無にするあの瞬間って【快感・絶頂】に近いと思うのね。そういうちょーどうでもいい思考が、最高に楽しすぎる。だって、三時間くらいならチクワの穴を覗き続けてチクワ越しの世界を満喫できちゃうし、牛乳を振ってバターにするやつとかは本当に得意分野で困るよ。率直に、長い時間を掛けた無駄が気持ち良すぎる。まるで、他人様に自分の痛いところをアレコレ突かれても平気な顔ができちゃう、しんどくてつらいのに全然やめられない【人生】みたいだな。乖離していたい。

緩やかに、でも確実に、大人になるってそういうことじゃないのになって、履き違えていたり勘違いしたりしている人間が周りに増えてきた。そういう渦には飲み込まれたくないなと思う。世間体をドブに棄てた、悪の詰め合わせディベートはいつだって性の対象じゃないよ。そういう皮肉も含めて大学は辞めたい。映画、すんごい好きだったのにな。たぶん、そういうことじゃなかったんだよね。それだけじゃだめって、好きなだけじゃ何も上手くいかないってさ。全てのことを、もっとはやく知りたかった。

いつの間にか期待をされることもなくなった。私は、いつも明確な何かに囚われていて、それが原動力となって生きるをしていたはずなのに。音楽だって味方じゃないし。何かしらが敵なわけでもない。ただ、言葉の文に肖っていたいだけ。免許取得のことも、就職活動のことも、本当は誰にも何も聞かれたくないし、答えたくもない。でも、聞かれるたびに、それっぽい言葉を並べ、まるでそれが予め用意していた答えみたいに捉えられて、そういうことができる自分を変に納得できる。自分のことを理解しているおいうことが怖い。いつもアップデートがない。更新ボタンが欲しくて、ロード時間ばかりが長くなる。私は孤独じゃないのに、誰にも分かってもらえなくてもいいと思える感情は浮遊し続けるし、夜もうまく眠れない。輝きに満ち溢れた大学生に会うと怯えちゃうし。自分ができないことを簡単にできる人が嫌い。最近は、書くことも億劫で、記憶が邪魔。ただ淡々と、整理のための物書きがおもしろくなくて、年の暮れに新調した日記帳も白紙のまま。特技もなければ、自慢したいような趣味もない。ただ時間を運ばせるだけの全てが点に過ぎない。でも、生きている確証が、愛されている確証がほしくて、泣き喚いて沈没。赤子のときから何も変わっていないと思う。なのに、身体は膨らみや丸みを帯びていく。何かに憧れを抱くこともやめられない。自分を律するこというとは、縋るものを拒むことと似ている。全てが怖いのにね。馬鹿みたい

そうやって自分を簡単な言葉で片づけて、また何も変わらない朝を迎えている。今、そんな自分のことを他人に責められてしまっても大きな声で怒れないかもしれない。情けないけど、とても弱い。とても弱いから、おもしろい。おもしろいって褒め言葉だね。




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