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「手乗り文鳥の話ってしたっけ?」


「手乗り文鳥の話ってしたっけ」

萎びたアパートの居間で、既に何本目かわからない発泡酒を開けた母がまた話し出した。

私は普段東京で飲みすぎている分、帰省した時はほとんど酒を飲まないようにしている。

実家と呼ぶべき家は母の姉夫婦と祖母が住んでおり、母は今1人でアパートに住んでいる。父親はどうしているかも知らない。私は東京からたまにしか帰らず、一言で言うと一家離散している。

化粧を落とした母は歳の割には綺麗な肌をしているが、窪んだ目元や筋張った手を見ると確実に月日の流れを感じる。

「文鳥? 知らない」

「夕飯の時にあんたのおじいちゃんに何か知らないけど怒られてて、」

私の祖父は長崎の五島列島の生まれだった。
なぜ遠く離れた新潟に来たのかは知らないがそこで祖母と出会い、結婚した。五島では船に乗っていたらしいが新潟では材木屋で働き家族を養っていた。

「怒られてるのに誰かからもらった手乗り文鳥がパタパタパタパタ家の中飛び回っててさ」

「それはやばい」

「カゴに入れてとけよって感じじゃない」

少しだけ記憶があるが私が幼い頃に住んでいた家はほとんど長屋という風情で、便所だって汲み取り式だった。30年前ということを考えても信じられないほど古く粗末な家だった。

「笑いそうになって貴子を見ても無の境地みたいな顔してるし、ばあを見たら我慢しなさいって目で合図してきてさ」

貴子とは母の姉で、私は祖母のことをずっとばあと呼んでいる。
世渡り上手な叔母と事なかれな祖母の今を思うと容易に想像がついた。

「でね、パタパタ飛んでた文鳥が禿げかかった親父の頭に止まったの」

「そんなことある?」

「あたしも我慢できなくて口に入れてた味噌汁をぴゅーって吹き出しちゃって、その瞬間親父がふざけんなってあたしを殴ってちゃぶ台ひっくり返したの」

「最悪だ」

私は母親に似てしまった。
親戚の法事で住職が説法の最中に言葉を間違ってばかりいた時も私と母親だけが耐えきれず吹き出した。
家族の中で私と母だけが少しばかり感受性が強く、不器用だった。

「でも、今思うとあんたが一番おじいちゃんに似てるよ。あたしは耐えて耐えて泣くだけだけど、あんたは最後、ちゃぶ台ひっくり返せるから」

「何それ」

母はまだ寝たくないようだった。


「あんたを妊娠した時、また殴られると思いながら父親のところに報告に行ったんだけどね、」

世に言うデキ婚の産物だった私が、母が妊娠を報告した際の話を聞くのはおそらく初めてだ。

「そうか、わかった。生活は大丈夫か? 一緒に住むか?って。一切非難もせず。そういう大事な決断には、一切文句を言わない潔さがあった」

私がまだお腹の中にいた時、母は父と猫一匹と安アパートで同棲をしていた。そしてまたあの長屋のような恐ろしく古く粗末な家に戻ったのかと一瞬責めたくなったが、その時母はまだ21歳で父親だって23歳だった。

「無事産まれてきてくれて、おじいちゃんはいっつもあんたを抱っこして嬉しそうに近所散歩してたよ」

もちろん私の記憶はない。

「貴子が、働いてたクラブでママになったって聞いた時も、会社の偉い人連れてって、飲みに来たんだって。親父本人は気まずくてすぐ帰ったらしいけど。なんて言うか古臭いけど、とにかく男らしかったんだよね」

それなのに私の母が選んだ父はつかみどころのない、子供っぽい男だった。
叔母の貴子がやってた店だって当時の地元で一番の高級店として繁盛していたのに、一緒に商いをやっていた男に騙されて金を取られて逃げられた。

その後叔母が結婚した別の男だって、何を生業にしているのかよくわからないチンピラとヤクザの間にいるような男だった。挙句二人で危ない商売に手を出して数年後には逮捕までされた。私は誰かに自分の人生を預ける覚悟もできぬまま30歳になった。

どうしてこうも、私たちは。

「あんたのこと、ゆうちゃんゆうちゃんって、あんな怖かった親父がここまで優しくなるんだってびっくりだった。でも、短い間だったけど、親孝行できたかなって」

母はそう言って泣いた。

私が一歳になった冬の音もなく雪が降る日、いくら飲み歩いても必ず帰ってきた祖父は家に帰って来なかった。
翌朝になっても帰って来ないので捜索届けを出して家族や会社の人間総出で捜し、見つかった時には用水路で冷たくなっていたらしい。

祖父の死に方を初めて聞いた時は恐怖に慄いたものだが、今となればそこまで悪い死に方じゃなかったかもしれないとも思う。
私の母が悩んだ末に離婚する姿も、叔母が逮捕される姿も、知らずに死んでいった。

「会いたいな」

そう言って、私も泣いた。きっと何を決断するにも「ゆうちゃんが決めたことだ、頑張れ」と言ってくれただろう。

「あんたはもう、これ以上親孝行しようとか思わなくていいからね」

酔いと眠気が限界の母は布団に入りながら言った。
最近母を連れて旅行に行ったりもしていたが親孝行のつもりはなかった。
好き勝手に生きて、命を繋げない自分のせめてもの罪滅ぼしかもしれない。

「まずはあんたが幸せになりなさい」

「うん。ありがとう。おやすみ」

電気を消して自分の部屋に戻った。
盆を過ぎれば暑さも緩む新潟の夜は優しかった。

《終》


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