平成最後の夏の私小説
あったのかどうか定かではない程の梅雨が開けたと宣言されたかと思えば、急に容赦なく33度になるまで照らされた新宿のライブハウスで出番が終わった私は早く帰りたい気持ちを必死に抑えていた。
私の後に出てきたX JAPANのコピーバンドは確かに全く趣味ではないが理由はそこではない。東京に来てからずっと患っているアトピーも努力の甲斐あってここ数ヶ月はかなり落ち着いていたのに今日はとにかく抜群に調子が悪く、腕と脚はほとんど蕁麻疹のように真っ赤に腫れているし顔は何をどう塗っても皮が剥がれ落ちてくる。
いちバンドのボーカルとしてステージに上がればそもそも距離があるしライトにごまかされて悟られることはないだろうが、この暗いライブハウスを出れば私の醜い姿が直射日光に照らされる。見られたくない一心で、とにかく帰りたかった。心なしか肌だけでなく身体自体も疲れている。
とはいえ急に帰るわけにもいかずフロアの一番後ろに立ってただ時が過ぎるのを待った。
平成最後の夏が始まるというのに、コンディションは最悪で結局その翌日から寝込んだ。
平成最後だろうが何だろうが肌の問題もあって夏そのものが苦手である私にはどうだってよかった。それなのに平成最後だからなのか何なのか夏を謳歌したいだけの過去にすれ違った男たちからはやけに連絡が来た。
「久しぶり!また新しい事業を立ち上げて、面白い話できると思うよ!ところで明日って空いてる?1万のコースが食べられるよ!」
「うん、ごめん明日は予定あるんだ。あと私高いご飯にあんまり興味ないよ笑」
違う、1万のコースなんて自分の金で食べられるし木曜に連絡が来て何で金曜日に会えると思うんだよ。閉じたLINEの画面をもう一回開いて2タップ、二度と男のメッセージは私に届かないようにした。またある日は、
「うちの会社にMさんが面接に来てますよ。ユカリさんと仲良くしてるって言ってますけど入社したら今度一緒に飲みますか?」
かつての同僚からの連絡だった。1年も前にすべての連絡をブロックしている男が私と仲良しだというならもう人類みんな親友だ。
「すいません、全然仲良くなくてむしろ関わりたくないので飲み会も誘わないでください」
かつての同僚に罪はないが、もう少しで彼も一緒にブロックしそうになった。こんな男もいた。
「久しぶり!ところでオレ去年結婚したんだ。お祝いしてよ」
何も返すことなく2タップで済ませた。そして最後の極め付けが過去に同棲して結婚まで考えた男からだった。
「ただひとつ言えるのは、あなたのことを考えていたということです。ユカリの事が大好きでした。」
とっくに、2年ほど前に別れているし、ほとんど酒乱とも言える男だったのでこんなメッセージを急にもらってもどうせ酔っ払っているのだろうと全くの無視をした。その日ふと最近ほとんど開かなくなったFacebookを見るとその男の投稿が目に留まった。
「【ご報告】こんな僕の人生の伴侶となってやるというとても稀有が方がいらっしゃいまして、先日入籍させていただきました。」
私にメッセージを送ってきた時には入籍を済ませていたことになる。結婚を前にやっぱり俺はあいつのことを好きだった思うことは自由だが、それをまるまる伝えてくる行動に呆れ、さすがに怒りが湧いた。もうあんたに興味なんてあるわけないんだから放っておいてよ何のつもりだよ、嫁にも私にも謝れ。と言う代わりに
「あなたと結婚しなくて本当によかった、気持ち悪いのですべてブロックします」
と返して、その通りにした。
忘れていた。私はクズだったことを。
私はほんの1年と半年前までこういった男たちを自分の価値を高めてくれる存在、可愛がってくれる存在、寂しさや時間を埋める存在としてカウントしていた。都合が良いのはお互い様で何も生まないし何も残らない。
しかし私が彼らと連絡を取らない間、一人の男を本気で好きになりそして大切にされていたことで私は全く別人になった。クズでなくなった私はクズをクズであると認識できるようになってしまった。
平成が終わる実感なんて一つもなかったのに時代を象徴するアイドルが解散したり引退したり、最悪の事件を起こしたカルト教団の幹部が一斉に処刑されたり、刻々と何かが終わる実感だけが増し、暗い闇の中に突き進んで行っているような気さえしてくる。
病気休暇と自宅勤務をくっつけて1週間引きこもってようやく火傷のように真っ赤だった身体が徐々に落ち着き、毎日薄皮が剥けていた顔は悪化する前よりもずっと艶と肌理が増した。
丁寧に丁寧に化粧をして一番お気に入りの服を着て、出かけた。その日私は平成で一番好きだった男と終わりを遂げた。
梅雨が開けたと言われているのに1軒目のフレンチからカラオケに移動する時なんてほとんど土砂降りだった。3軒目に行った帝国ホテルのバーでようやく私は言いたいことを話し始めた。これを言おうあれも言おうと用意していたことが概ね全て言えたのは、賑わっていても快適な空間を維持することに努めてくれていたバーのおかげなのか、散々喧嘩やすれ違いをもうお腹いっぱいになるまでやったこのタイミングが良かったのか。穏やかな時間だった。
気付いたら明けて、七夕になっていた。私の両親は七夕に結婚している。私は七夕に最愛の男と別れた。そして両親もとっくに離婚している。4軒目のワインバーを出る頃には雨は上がっていたがとにかく寒いし、厚い雲に阻まれて天の川なんて見えそうにない。
どうにもこうにもすれ違って、そうこうしている間にすっかりタイミングを見失った二人だった。
相当に酔っ払っていた2人はどんな台詞でも言えるようになっていた。もちろん、それら全てが遅すぎた言葉だ。
「生まれ変わったら結婚してください、幸せにしますので」
「うん。オレも、幸せにするよ」
昭和、しかもまだ私が生まれる前の話だが松田聖子が郷ひろみと別れた時に記者会見で「もし今度生まれ変わったら絶対に彼と一緒になります」と泣いて私の母はもの凄く白けたと言っていた。
平成も終わるというのにまさか自分が同じようなことを言うことになるとは私も母も予想できなかったわけだが歯が浮くような言葉は、別れの時だけは許してほしいと誰にでもなく乞うのだ。
来世に期待するわと冗談で言うことはあれど実際はこの世に思い残すことがないよう好きに生きてきたので「生まれ変わったら」なんていう言葉が頭をかすめること自体初めて味わう感覚だった。叶えられなかったことを託す気持ちがあると、死に対する恐怖が和らぐというか。死んだら好きな男と一緒になれるのか。一緒になれなくてもせめてたまには酒でも飲みたいね。
未来も死もわからないものであるということは共通している。というか死も未来の一部に過ぎない。そして未来も死も必ずこちらに近づいてくる。でも生きていかなければならない。平成の次の元号は何になるかわからないしその時代も凶悪な犯罪があったり災害が起きたりするだろう。でもやっぱり、生きていかなければならない。
平成で最も好きだった男と別れることを決めたのも、愛おしくて仕方ない今と過去に抱かれたままだと未来の闇がさらに深くなることを悟ったからだ。
今回1週間会社を休んで明るいうちから部屋の掃除をしながら窓の外に夕焼けが見えて、ふと1年前のことを思い出した。あの頃私は休職していて、今日と同じように掃除をしながらただ彼が家に来るのだけを楽しみに待っていた。社会とのつながりがほとんど彼しかなかった。あの時だって、本当はこのままの生活をしたいと思っていたけど見えない未来のためにまたちゃんと就職して生きることを選んだ。
「次付き合った人とは、与沢翼ばりに秒速で結婚するわ」
涙も大分落ち着いてきたので暗いワインバーでそう男に言った。秒速でって言いたいだけだし与沢翼は秒速で1憶稼ぐのであって結婚は全然秒速じゃなかったな。まぁいいんだそんなことは。
平成が終わったって何かが急に変わるわけじゃない。この七夕みたいな日の思い出をズルズルと引きずりながら少しずつ薄めながら仕方なく前に押し進められていく。
一年半前はただのクズだった私はクズじゃなくなった。親友には前より優しくなったと言われた。そう考えると一筋の光があるかもしれない。
来世に期待するにはまだちょっと時間があるのでもう少し粘ってみようと思う。生きている間に、もしかしたら幸せになれるかもしれないし。
おわり
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