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話題がないという話題

早いものでもう三日目の更新。
自ら意識してやろうと思えば毎日文章を書くことなんて意外と簡単じゃん、とか単純なことを考えてしまう。
単純な考えというものは時に人を救い、時に人を苦しめる。結局のところ、一番大切なものは「丁度よい」ということなのだろう。丁度よく、単純なことが人生を豊かにしてくれるのだ。何の話だっけ。まだ何の話も始まってなかった。ちなみに、見出しの我が家の写真については何の意味もない。適当に選んだだけだ。

そんなわけで今日の話題は、

ない。
いやホントに。自分は特筆すべき趣味なんてないし、外に出かけることもないので全く話題がない。コロナ禍以前の大学に通っていた時期は、毎日というほどではないがそこそこの頻度で話題に出来そうなことが起こっていた。その頃勤務していたバイト先が、なかなかの修羅場であったことも一因だろう。その話は来るべきまで取っておくことにする。

外に出かけるといえば高校生の時のある日、こんなことがあった。
その日はテスト期間で、自分の高校には「テスト期間は授業が午前まで」という規則が存在した。言うまでもなくこれは
「さっさと家に帰って勉強しなさい。そうでなければ図書館で勉強しなさい。そしてテストに備えなさい」
という教員、もとい学校側からのメッセージに他ならない。
賢く真面目な生徒であれば、教員からのメッセージを素直に受け取り家に帰って黙々とテスト対策に打ち込み、そうでない生徒は「授業が午前までしかない」という事実のみに飛びついていつまでも学校に居残って遊び惚けていた。
当然自分は後者である。自分の高校は所有している敷地が異様に広く、放課後遊ぶにはうってつけだった。自分のような人間にとっては楽園ともいえる環境だといえる。ありあまる育ち盛りの体力と好奇心を思いつく限りの遊びと悪ふざけに費やしたというわけだ。
だが、その日は学校で遊ぶことはしなかった。
何を考えたか当時の自分は「上総一ノ宮への日帰り旅行」を決行した。自分の通っていた高校は千葉県にあったので、時間さえかければ上総一ノ宮に行くこと自体はさほど難しくはない。問題はかかる時間だった。間違ってもテスト期間の学生がそんなことをしている場合ではない。何故そんなことを考え付いたのか、今となっては確かめる術もない。
だがまあ、理解はできる。おそらくは当時の自分にも先に述べたような「単純な考え」があったのだろう。単純であるということは言い換えればシンプルであると言うことで、それだけに大きな力を持っているものだ。そこには理屈が介在する余地はない。
思い付いてしまったからには、僕に残されたのは単純な選択肢のみ。
すなわち「実行する」か「しない」か。こういう場合に自分がとる選択肢は「より楽しい方」だ。ここまで書けばもう説明の必要はないだろう。
日帰り旅行には友人が一人ついてきた。物好きだな、と思いはしたが嫌な気分もしない。自分とあの友人とは間違いなく同じ穴の狢だ。

結局のところ、「上総一ノ宮に日帰り旅行をする」という行動は失敗だった。駅に着くなり天が降ってきたかと思うほどの土砂降りになり、観光なんてとてもできたものじゃなかった。というかそもそも移動時間を考えると、観光する時間すら初めからなかった。駅に着いたら即座に帰りの電車に乗るくらいでなければ間に合わなかったのだ。濡れ鼠のまま、家に帰ったころにはすっかり夜になっていた。テストを控えた学生のココロは深い後悔で満たされた。

テストの結果は筆舌に尽くしがたいほどの惨憺たるものだった。尤も自分には中高六年間で悲惨な結果でなかったテストなど片手の指で数えられるほどしかなかったが。

当時は死ぬほど後悔したこの出来事だが、今はこうして立派に記事の話題になっている。自分の文章力を鍛える糧になったわけだ。
「人生で体験したことのどれが役に立つかなんてきっと神様にもわからないんだろうなあ」なんてありきたりなことを総武線の路線図を見るたびに思い出す。

…あれ?今日の記事名って「話題がないという話題」じゃなかったっけ。
まあいいか。

んじゃ。

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