アンパンマンと主体性
主体性を持ちなさいという言葉には聞きなじみがある。それなのに、主体性と言われても長らくピンとこなかった。主体性ってなんだ?主体性のある人ってどんな人だ?
私はアンパンマンが大好きなのだが、知れば知るほどアンパンマンには主体性のあるなぁと感じる。なぜだろう。それはきっと、アンパンマンが自分の意志で行動していることがわかるからだ。みんなを守っているイメージが強いアンパンマンは「みんなを中心とした言動をとっている」ようにも見えるかもしれないが、そうではない。
アンパンマンの主体性が見えるのは、たとえばこんなシーンだ。ロールパンナちゃん(いいこころ と わるいこころの両方をもつキャラクター)がわるいこころに染まって、アンパンマンを倒すことを目的に攻撃してくるという、まずは戦うしかないと思われるような場面でアンパンマンはこう言った。
ロールパンナちゃん!きみに いいこころ がなくなってしまったなんて、ぼくには おもえない!
そして、アンパンマンは戦わない。
『映画 それいけ!アンパンマン すくえ!ココリンと奇跡の星』の中で、映画のメインとなるキャラクターがばいきんまんの発明によって凶悪化してしまったときにも
やめるんだココリン!ぼくは きみと たたかう ことなんか できない!
と言って、アンパンマンはかたくなに戦わず、巨大化しているそのキャラクターの口から体内に飛び込んでしまう。(アンパンマンが入ったことでそのキャラクターは正気に戻り、事態は収束していく。)
みんなを守ることが自分の義務だと考えることをやめていたら、戦わないという選択肢は浮かびもしなかっただろう。
アンパンマンはあくまでも、大切な仲間を守ることを優先している。どちらの場面でも戦うしかないと仲間が口にするのだが、それでも決して戦わない。周囲の声には流されないし、誰かからの評価のために動くこともない。
アンパンマンは自分にできることに集中していて、何か都合が悪い状況になっても誰のせいにもしないのだ。たとえば「メロンパンナちゃんがあのとき捕まらなかったら、カレーパンマンが役に立たないせいで」なんてアンパンマンは言わない。誰の言いなりにもならないからこそ、誰のせいにもしない。いつも自分の意志で動き、その責任を自分で負っている。それこそが主体性なのだと、私はアンパンマンから教わった。
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