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さよならデザインあ、また会う日まで…

 Eテレ、ひいては日本の芸術コンテンツの宝を、我々は一つ失ってしまった。"デザインあ"の打ち切りはあまりにも悲しい出来事だろう。少なくとも俺は悲しい。そして全国のデザインあファン、その大多数は未成年者だと思うが、発言力が弱い彼らたちの声なき声も俺には聞こえてしまう。

打ち切りの理由、それはもちろん"大人の都合"だ。当事者である子どもは無視されている。この社会は大人たちの社会なので、この決定を理不尽に感じても、どうすることもできない。そんな力不足さの悔しさをバネに頑張ろう。

ピタゴラ世代の僕としては、デザインあについては語りたいことがたくさんあるが、やはり特筆すべきは音楽だ。あの番組をあの番組たらしめたのはコーネリアスの貢献によるものだった。あの音感触と映像はデザインあ以前にはなかっただろうし、以後にもないだろう。あれを体験できて俺は幸せだったと思う。もし俺に将来子どもができたとしたら、デザインあDVDをピタゴラ装置DVDブックとともにプレゼントしたいと思う。俺と同じ体験を子どもにしろというのは俺のエゴかもしれないが、このくらいだったらいいだろう。デザインあ放送200回記念も円盤化して欲しかった。

そんなEテレのことだが、今回の事件は俺に別の件をフラッシュバックさせた。元内閣参謀の高橋洋一氏のEテレ売却論のことである。
彼はさざ波発言で大炎上する前にまぁまぁな炎上を起こしていたことを俺は忘れはしなかった。
主張を要すると、Eテレをテレビではなくネットで放送しろ。というものだ。
あの時、俺は高橋洋一を盲目的に批判していた。俺は学生時代、平日は起床後、Eテレを見ながら朝ごはんを食べ、Eテレを消して学校に向かっていた。Eテレとは、毎朝のルーティンに欠かせないものだった。0655、シャキーン!に代表される、毎日の習慣、時間意識を番組とマッチさせるコンテンツを子ども向けに提供するという意義があってこそEテレは成立すると無意識に解釈していた。だからネットではダメで、テレビ番組だからこそ輝く宝石なのだと思っていた。
しかし、最近、久しぶりにEテレを見て愕然とした。まず、シャキーン!が7時にやってなかったのである。Eテレの番組はガチで謎な放送時間改編が何年かの周期で実施されていて、上記のコンセプトが保てていなかった。これに関してはマジで意味不明である。さらに驚いたのは、NHK for Schoolに代表されるNHKのネットコンテンツへの誘導が露骨な点である。番組内だけで話題を終わらせず、「続きはホームページで!」を平気でやっていた。もうネット抜きじゃEテレは楽しめないと言ってもよい。そしてホームページを覗いて見ると、Eテレネットコンテンツの充実ぶりに驚く。無料で、"テキシコー"が観れるのだ。これでは高橋氏の主張も、はっきり言って妥当であると言わざるをえない。

あの時の記事のスクショ↓

テレビからネットへのシフト

 正直びびった。Eテレは変わっていた。かつてテレビでEテレを体験していた僕は既に老害化しているらしい。そんなことまったく気づかなかったが、そもそも僕も最近はテレビを観ていなかったし、近ごろの小学生なんかもそうなのだろう。時の流れを意識せざるを得ないが、今回のデザインあ打ち切りは一つの区切りなのだと理解した。しかし、僕とEテレとの思い出は永遠に消えない。

                    了

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