見出し画像

寝る前のメモ。


今朝「よいクリスマスを🎄」とメッセージを送ってから、ずっと何かがおかしいと思って過ごしていましたが、クリスマスってよくよく考えたら来週でしたね。

日曜日にご褒美に訪れたライブや憧れのホテル滞在ですっかり年を越した感覚になり、仕事では並走するプロジェクトの年度内スケジュールを引き、年内の大きな仕事が無事に終わった開放感が招いた結果だと思う。ネジがだいぶ緩んでいて、今日も自分だけミーティングの時間を1時間早く設定していた。(遅れる方じゃなくてよかった)

流石にちょっといろいろこぼしていきそうなので、明日は落ち着きを取り戻す1日にしたい。雪も降ってるしそれがいいね。

・・・

自然界の変化だけで人生を楽しめる領域にはなかなか達っせそうもないけれど、自然の美しさに一歩でも近づきたいとは思っている。

時には心穏やかな、時にはハッとする瞬間をもたらしてくれる、そんな自然の存在に憧れをもつ。さまざまな邪念を相手にせず光に向かって真っ直ぐ生きている、ということに惹かれているのだと思う。

まだまだ欲も捨てられないし、根源的なピュアさを目指すことは難しいから(その段階でピュアじゃないので)、いろいろな知識や経験を積み重ねながらせめて芯のところだけはブラさずにいたいと思うわけです。

・・・

日々の心の揺れ動きですらこうして忘れてしまうので、記憶に残っていることなんて実際に起こっているすべてのうちの数%なんだろうな。母には申し訳ないけれど、月曜日の夜に何を食べたのかを思い出せと言われたら難しい。昨日は大丈夫でも、一昨日は怪しい。

しばらく忘れていたことを、ちゃんと思い出したいと思ったときに何をするのがいいだろう。読みかけだった本を読んだり、過去のnoteやSNSを見たり、印象深い場所を再訪してみたり。興味関心が近い友人と話すことも一つかもしれない。

記憶を引っ張り出すきっかけがないと “そうしたかった” ということですら忘れてしまうし、こういうのは日々に忙殺されることの怖さでもある。

一方で、覚えていないほどの “そうしたかった” は案外、そうしたかったかもしれない、くらいのWANTだと思うので、その辺りはどちらかといえば「いま」の直感と運に任せておいていいんじゃないかなとも思う。

そう考えると、少々頭打ちになっている気配もあって、しばらく自分100%で進めてきた(と思っているだけかもしれない)ことを、他者に委ねたくなる瞬間もある。

・・・

そこに行けば何かが見つかる!という発想はあまり好きではないけれど、少し土地を離れてみるなら今かもしれないという感覚はあって。何よりも、この先の自分のためにそう思うわけです。今年はそのためにチケットをつくってきた感じで、来年はそのチケットを手に行きたいところへ飛びたい。

この2年間、地元が軸であることはやっぱり変わらないと確信をもてたから、そう思えるようになってきたかな。

この数週間で自分から飛び出ていったものたちを、もう一度戻していく作業。と同時に、終えられていないいろいろも年内には終わらせていかないとだね。年明けから一気に駆け抜けるための準備運動。

いただいたサポートは、より良い文章をかけるように有料noteや本の購入にあてさせていただきたいと思います◎