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寝る前のメモ。


どんなことがあっても、この夕日を見ればすべて吹っ飛んでしまう。中学生の頃からそう思って過ごしてきた。わざわざそう書いているということは、もちろん忘れられていないのだけど、たとえ何かがあったとしても、この夕日を見ればどうでも良くなるのは事実かな。

怒りというか呆れというか、これまで目の前で何度もそういう言動が繰り広げられてきたし、だからこそ断固として次の世代にはそういう思いをさせたくない。矛盾するようだけれど、だからいまは腹のなかがどれだけ黒くても笑顔を向けることにしている。我慢をしているというよりは、機を待っている感覚が近いかな。生まれ育った国であれ、ここは「異国」だと思うことでやり過ごしてきたこともやっぱりあるし。だから海外に行くと呼吸がしやすいのかもしれない。(けれど10日も過ぎると「よし、帰ってやったるで」という気持ちになるから不思議。)

それでもこの場所にいる理由ってなんなのだろうかと考えはじめると、最近は “胃袋を掴まれている” という回答が一番しっくりくるような気がして。旬のアスパラガスや新玉ねぎ、そして空豆が近隣から届く贅沢さを、農家だった祖父母に知らないうちに教えてもらっていたのだと思う。加えて、この数年のうちにおいしいパン屋さんや和菓子屋さんが近所にでき、素直な胃袋はこの場所の良さを誰よりも知っているのかもしれない。もちろん、四季折々の風景の魅力もね。

いやあ・・・改めて考えると、40代になったら書きたいことがいっぱいあるな。それならば、あと10年は自分自身にフォーカスをした方がいい気がする。決して戦いたいわけではないのだけれど、「真向勝負」的な性分はこれから先もなくなる気配がないので、とことんできるところまでやってみたい。

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今週はひさしぶりに大学でお話させていただくことになっている。働きはじめた翌年から毎年お声がけをいただいているので、もう7回目になるのかな。棚卸しをさせていただくような感覚で、一年分の更新をしよう。

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タイムラインというものは不思議なもので、興味関心や取り組みが近しい他人の情報をも勝手に運んでくる。何気なくアクセスをしただけなのに、それが過去の淡い瞬間やニガい思い出など、言葉にできない感情と意図も簡単につながってしまう。

あの頃が青春だったといえばそうだし、今はそれ以上に駆け抜けていることも事実だし。ありがとよ、と思いきれないところは多々あるのだけれど、もう一度あの日に戻ったとて、私の選択は変わらない。

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