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寝る前のメモ。


写真を撮ることは生業ではないし、あくまで趣味ではあるのだけれど、先日、美術館「えき」KYOTOで展示中のソール・ライターの写真を見ながら「まちの/まちで写真を撮ること」についてもう一度考えてみたいと思っている。

数年地元で働くなかで「地元の魅力は?」と問い続けられた結果、自分の見ている風景を知ろうと写ルンですを持ち歩きはじめたのは、2018年の秋が深まる前だったかな。それからちょうど2年が経つ頃(だったかな)に、写真屋さんに薦められて今はエクリュを連れている。

最近はすごく他者の「まなざし」を知りたくて、そういう意味でも写真を見るのはいいなと思っている。どんな風に目の前の対象を捉えているのか、本人ではないから100%はわからないけれど、なるべく考えを巡らせてみたいと思うし、その人の背景からも読み取ってみたい。


今日もきょうとて、特に何かが書きたくて書きはじめていなくて、なんならここ数日のいろいろでタイピング中の指が鈍くなっていることも確かで、眠たくもあって、明日にも供えないといけなくて(笑)。ずっと何かを忘れてそうで、忘れていないことを祈るしかできない。


昨日はひさしぶりにPCをほとんど開けなかったけれど、とても開放感がすごかったな。1日ぼんやりできる日を、4月のはじめにはとろうと思う。

ちょっと今年こそは本格的に来年以降のことを考えよう。目の前のこともすごく大切で、関わる組織や人が増えてきただけ地元にいるのがおもしろくもなってきたのだけれど、ずっとこのままいられてしまうことにあまり良しとは思えていない自分がいる。まだ、チャレンジできていないこと、出会えていないものがたくさんあって、そろそろ着手しないと多分人生が足りなくなる。


ベンが授業開始時に言っていたツボとロック(岩)の話を思い出す。

「ここに大きな空っぽのツボがあるのだけれど、それをいっぱいにするには岩を入れる?砂を入れる?」みたいな話だったかな。喩えとしてはほかにも類似の話があると思う。

岩から入れ始めたらあとで砂を入れてツボをいっぱいにすることもできるけれど、砂から入れ始めたらあとで入れたくても岩は入れられない。

このツボをそれぞれの人生の時間と見立てると、まずは「岩」になる部分がとても重要で、学生生活を通してそういうものを見つけなさいと。


人生における岩、ちゃんと無事に見つかってるかなぁ(笑)。あるいは、一度入れた砂を手放してみることもひとつな気がしてきた最近です。空間ができれば自ずと新しい何かを入れられることができるわけだし。

そもそも私のツボはいっぱいになっているのだろうか・・・


という、自分以外の人にはまったく関係のない時間をぼんやり過ごしたい。これは本当に独りになってやるのがいいね。



本当は、きょう出会った一瞬がとてもシャッターチャンスだったな〜と思ったときに、ソール・ライターのまなざしを田舎に向けるとどうなるか?をもっと実験したくなったことを書きたかったのだけど、いつもながら全然違う方向に。しばらく忘れていた写真活動を再開しよう。アニメもコマ撮りアニメもぼちぼちやりたいな〜

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