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寝る前のメモ。


数日前に聞いた「私はただ、しようと思うことは是非しなくちゃならないと思っているばかりです」という千代(杉咲花)のセリフが、しばらくずっとあたまの中に残っている。

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普段からあまり夢はみないのだけど、今朝はドッと疲れるような夢が続いていた。部屋の掃除をしているとGの亡骸が次々に出てきたり、某有名人の発言が女性軽視ともとれるような内容で不快だったり(その人に何の罪もないけれど、私はあまり得意ではない)・・・。私は一体何と戦っているのだろうか、と言わんばかりの目覚めだった。

目が覚めてカーテンを上げると、青空のあいだから聞こえてくる鶯の鳴き声に、何とも平和な1日の始まりを感じた。同じ世界のどこかでは・・・と想像するだけで辛い感情も湧いてくるのだけれど、今日は頑なに自分を優先する日として。何も考えないし、午後からは通知も切るし。

野放しにしてみると、エストニアのことを調べたり、読みたかった本を読みはじめたり(1周では理解できなさそうな予感)、ストップモーションのハッシュタグを追ったりと、やりたいことはいくらでも湧いてくることを思い出した。そういう感覚をすっかり忘れていたからか、乗ろうと思っていた電車を2本逃してもご機嫌でいられた。とにかく今日は、ご機嫌でいることを最優先にしようと思って。

本当は帰りに美術館でも行きたいところだったけれど、今無理をすると身体がもたない気がしたので、そのまま帰路に着く。6月まで開催されているので、今じゃなくてもいいのが救いだった。

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4月に入り、新しい日々がはじまった人たちとたくさん会うなかで、急に自分自身の生活に新しさが存在しないことに気づき、何とも言えない気分になった。ひさしぶりに「飽き」のようなものを感じて、解消の仕方がわからなくなってしまった。新しい場所を訪れても、本のページをめくっても、映画を観ても、どこか退屈さを感じてしまう。

(やるべきことはまだ、きちんと終えられていないというのに。)

事実として、私自身の生活のサイクルに飽きはじめていて、これはもう手足を動かすしかないのかなと思う。やりはじめたことも大切にしながら、自分自身の幅を広げるためのチャレンジも。


新しいものを迎えると必然的に古いものが生まれる。靴も財布もマグカップも、ずっと買ったままだったものも含めて新しくおろしてみた。気分転換のようなことで、これを機に使わなくなっているものの存在にも気づく。

あとは、窓辺に貯まった書類の山を整理して、どんどん捨てていくという作業が残っている。毎年これをする度に、年度の切り替わりを感じている気がするな。もともと1つしかなかった山は、4〜5つに増えていて、置き場のない本たちも積まれている。

庭に咲くチューリップとデイジーをもらって、一輪挿しに挿してみた。花を入れ替えるのも、気がつけば1ヶ月ぶりということで、時間の流れを改めて感じているところです。外の自然を眺めるのもいいけれど、部屋にお花が入ると心が穏やかになる。

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