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寝る前のメモ。


私たちには「おいしい解決策」があると、10月に亀岡にいらっしゃった「スローフード宣言」の著者・アリス ウォータース氏はいう。“おいしさ” というとても曖昧で個々人の経験値によって判断されるものごとに対しての向きあい方が、信じる強さでもあると感じた瞬間でした。

この土地ならではの、といううたい文句を言いつづけているなかで、私の地元を伝える際に “おいしさ” は必ず関連している。自分だけで見つけることができなかった答えだけれど、日々、いろいろなおいしさを実感していることだけは間違いなくて。フードスケープを読みはじめていることもそうだけど、おいしい風景については、何がそれを構成しているかをちゃんと紐解いてみたい。地層から霧の一粒に至るまで、きっと関係があると思うから。

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普通にあるしあわせについて、考えることが増えてきた最近。

世界各地で戦いが絶えず、今日もどこかで事件が起こり、そうした社会でも生まれる子どもたちがいる。パラレルに起きているものごとが、自身のなかではなかなかつながらなくて、日本に生まれて良かったと思う日と、焦燥感にかられる日がある。

日曜日の公園というなんとも穏やかな時間を、思いのほかのんびり過ごせないのは、その場所がわたしのための場所ではないからなのかもしれない。イタリアやイギリスやオランダにいたときに感じなかったことを、地元にいると感じてしまう。

世界中で絶えない争いに憤りを感じていても、何もできない悔しさが募るばかりなのだけど、平和のうえに成り立つ「観光」という分野を磨いていくことでしか、今のわたしには役に立てる術がない。術がないから何もしない訳ではないけれど、即効性はなかったとしてもじわじわと「あの時間がよかった」と思える体験を、いまはきちんと理解して伝えていくのがやっとかな。

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私自身はこれからもきっと、「素人でいる」ことをやりつづけるのだとどこかで思っていて。どの分野にもエキスパートがいて、それだったらその人たちと一緒にやればいいやと思うわけなので、コラボレーションが生まれやすい土壌を耕しつづけることと、入口をつくりつづけること。

近い将来に何かを学んでみたい気持ちはあるけれど、結局のところ、学びたい分野は年々増えていくばかりなので、何かに絞るのがずっとむずかしい。とは言っても、考えて動けなくなるよりは、手足を動かすことで地道に答えを見つけていけたら。

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