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寝る前のメモ。


何でもかんでもオープンにしていく必要はないけれど、少しずつ開いていくことで新たな機会は生まれる。対立を望まない気質であるがゆえに、避けてきたことで築かれなかった関係性があるとすれば、安心して話してもらえる場をつくることがいま求められているのではないか。

ニュートラルな立場だからこそ、ジャッジをするわけでも、援護をするわけでもなく、みんなで目指すとしたら何がいいか?をともに考える土壌をつくりたい。畑を耕すようにコミュニケートしていく。誰かだけのための場にならないことを守れたら、あとはうまくいくような気がして。大切なのは、みんなにとっての納得解を妥協せずに見つけていくことなんじゃないかと思う。

腫れものに触ること以前に、腫れものを触らない世の中はあまりにも寂しすぎる。それがたとえパンドラの箱だったとしても、必要だったら開けることが現代を生きる私たちが将来に対してできること。最後に希望が残っていたらいいじゃない。

8〜9年ほど前に感じた疑問や悔しさはいまもやっぱり原動力のままであることを実感する。さて、あと2年のうちにどこまで辿り着けるか。

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オランダから戻って1週間。思っていた以上に嵐のように過ぎていったので、記憶を取り戻すところから10月をはじめていこうと思う。あと3ヶ月で今年が終わるという事実に驚きながらも、これからはじまるプロジェクトと、その先の未来についてはそろそろ真剣に考えていかないとね。

もう一つ試験を受けることを度々忘れそうになる。なぜ、日本における旅行の繁忙期に試験があるのだろうか。閑散期ではダメなのだろうか・・・と文句を言っても仕方がないので、残り20日間で、決める!(バレーとともに乗り越えます)

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過去はあくまで過去なのですが、やっぱり代々木体育館のフォルムや館内の映像が流れると、はじめてあの場所に足を踏み入れた日の高揚感を思い出します。平均身長が小さくても京都でNo.1になったこと、2年連続出場したけれど全国大会の壁ははるかに高かったこと、2年連続出場したから注目チームに取り上げてもらえたこと、さまざまな方言が飛び交うコートの上、見たこともないユニークな建築、バスケットボール専用の第二体育館。きっと、いろいろな扉が開くきっかけをもらえた場所なんだと思います。

そして、それらの記憶は、わたしたちの出場を心から応援してくれた地域の方々のことも同時に思い出させてくれます。

「オリンピック選手を目指すんやぞ!」と応援してくれた地域のおじいさんはもう亡くなってしまったけれど、この場所から世界とのつながりを見つける方法は他にもたくさんあるよね。そんな私なりの恩返しをしていけるよう、まだまだ頑張らないとな。

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