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寝る前のメモ。


先人たちがここを選んだ理由や、ここで何を感じどう動いてきたのか、その歴史を辿る。たまたまここに生まれ育った人たちも世に素晴らしい思想や作品を残している。そこにもし、共通する何かがあるとしたら、現代においても、もう一段階深いところからシビックプライドを醸成できる。ちゃんと湧き出てくるものに納得したいので、こじつけはしない。

まずは身近なところからそれをかたちにしていきたくて、地元というフィールドを選んだ。興味関心が重なるポイントもたくさんあったし、その目標が達成できるなら、特に手段は問わない。企画をつくることも、記事を書くことも、人前で話すことも、あるいは、自分自身が映画に出ることも。苦手なことも、苦手と思う前にやってしまえば気にならない。資金がもう少し増えたら、古民家か空き店舗で発信できる拠点もつくりたい。

その先にまた、世界とつながれたり、途上国の支援ができたら・・・そこまでの道のりは遠いけれど、一歩ずつ進むしかないし、やっていたらなんとかつながっていくとは思っている。どうせ人生100年あるなら、ずっとそういう風に生きたいし、そうでもしないと小学生の頃の自分に申し訳がたたない。

そういう意味でも、目の前のことが好きか嫌いかどうかの判断よりも、やるべきかやらなくていいかの判断。根底にある好きかどうかは大事だし、やりたいかどうかも大事。そこが確固たるものである以上は、やるべきことを粛々と進めていくだけなので。私はこのまちの山並みと空の広さと人が好き。だから、このまちを世界に届けたいと思ったし、その一心でやってきた。


一方で、できていないこと、手が届いていないこともたくさんある。焦っているわけではないのだけれど、それに対して悔しくない日はない。何れにしてもそれは、自分自身の手足を動かすことでしか解消できないので、やれるだけのことをやっていくしかないのだけどね。いつかエネルギーが途切れてしまうのかなと思うけれど、こうして先輩方や子どもたちと話していると、そんな考えはどこかへ飛んでゆく。



何度か書いている通り、ピアノやスイミングに加えて、小学生2年生の頃からバスケを始めたので、そもそも「休む」という概念が身についていない。

ただでさえバスケットボール漬けだったのに、正月・夏休みの日も走ったりボールを触ったり、少しでも上手くなりたくて必死だったから、それ以外のことをした記憶がない。身長が小さい分、やるだけのことをやらないと試合には出られないし、やった分だけ返ってくることがわかったから。ほかの誰かに強要することはないけれど、私にとっては仕事もそう。

話を戻すと、学校の友だちと上手くいかなかった時も、バスケをしている時だけは忘れられた。思考を身体に委ねて(当時はそうと思っていない)、そこに一切ほかの感情を持ち込まなくていい状況があったのが救いだった。あとは、休み時間に自由帳を開いてずっと絵を描いていたシーンも時々思い出す。思い出してどうするのか、と聞かれても困るのだけど、私はそういう人間なのだとわかっておくだけで今は安心できる。



日々、いろんな感情が渦巻いて、ここのところしばらくは自分でもよくわからない状況になっている。客観的に見ることができる距離に戻したいこともいくつかあるし、今日はメッセージを返せなくてごめんなさいという思いで、そっとiPhoneを閉じる。シルバーウィークの間になるべく整理をしておけるといいな。

いまから動きはじめる企画はどれも楽しみなので、追われないような段取りを組んでおけたら(笑)。

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