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寝る前のメモ。


現在進めているプログラムで京都府内各地を飛びまわる日々ですが、企画を通して出会いたかった人たちと出会えている手応えはある。

すでに何度かオンラインで話をしているからか、はじめてなのに再会したような気持ちになる。そして、事前に目的をすり合わせていることで、価値観のベースとなる部分が共有できているので、参加していただいたみなさんとのコミュニケーションは円滑で心地がいい。新たな仲間がプログラムごとに増えている感覚すらある。

ここのところ、さまざまなコミュニケーションが身体内外を行き交っていて、その粒子をつかむために実は毎日必死なのである。そんな状況でもコミュニケーションを絶やしたくない理由って一体なんなんだろうね。

4,5月に一番怖かったのは、コミュニケーションが途絶えてしまうことだったわけだし。決して話すことは得意ではないけれど、身体はそれを求めているということは、話すことが好きなのだろうか。英語が話せたらいいなと思ったのも、異国の方が何を考えているか知りたいという背景からだったし・・・自分とコミュニケーションの関係についてはもう少し考えてみてもいいかもしれないな。

「わかる人だけがわかってくれたらいい」という心地のいいコミュニケーションのなかにいることに安心しきってしまうと、それ以上の広がりが生まれないと感じている。私は真っ白のキャンパスに何かを描けるほどのクリエイティビティは持ち合わせていないので、わかりづらいことや見えづらいことをどう伝えていくかのほうに興味がある。

「わかりあえるかわからない状態」から生まれるコミュニケーションのおもしろさを私自身もどこかで求めていて、そういうところに次の仕事が生まれている気がする。

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