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寝る前のメモ。


地元に関わるモチベーションについて、どうしてこれだけやろうとするのか、自分でも理由がわからなくなることがある。

きょうは、たまたま話していた全然所属がちがう二人の方に、わたしの仕事の仕方について褒められる(?)機会があったので、その理由がなんだったのかを考えてみたいと思う。


基本的には、住む場所を心地よくしていきたいという個人的なもので、育ってきた環境を肯定したいというエゴであり挑戦で、そのために、地域の子どもたちが誇れるような産業をつくることが目的なんだと思う。そして、それを地元以外のどこかの国でも必要とされたときに、一緒に考えられる余裕とスキルをもちたい。

(学生時代に、貧困地域の経済開発について、勉強してきたことや見聞きしたことがベースにはあるし、いまでもその課題と向き合いたい気持ちはずっとある)


どこまでどう捉えるかわからないけれど、それがわたしが生涯をかけて成し遂げたいことで、そこに紐づくものはすべて「仕事」になるのだと思う。いわば、すべてがライフワークのようで、ありがたいことに、そこに価値を見出してくれた人からお金をいただけている。

「課題解決脳」というと大袈裟なのだけど、長年打ち込んでいたバスケットボールのおかげもあってか、目の前のミッションに全力を尽くすことはできるので、極論を言えば、自分自身が課題や困難をクリアできる瞬間が楽しくて働いている節はある。

(そのほかにも、人と人や人と地域の有機的なつながりをつくれたときは素直に嬉しい。)


もし、わたしが自然体で働けているのだとすれば、自分に嘘をついていないことと、この場所に必要だと思うことをなるべく楽しくやれる方法を探しているから。あとは、どうしてもこれがやりたい!と思うことは実はあまりなくて、やりたくないことをやっていないだけなのだと思う。


大変なことがないわけではないけれど(いろいろと差し迫っている〆切もあるので。苦笑)、基本的にはバスケ少女だったときと一緒で、純粋に「できるようになるのが嬉しい」という子どものような動機で働いているんだと思う。「バスケ」につぎ込んでいた時間が「仕事」になっただけのこと。

お金も大切だし、きれいごとばかりではもちろん生きていけないけれど、思考がどんどんシンプルになってゆくような感覚はちょっとあるような気がするな。

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