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寝る前のメモ。


それ以外にもいろいろと起こったのだけど、小学校の先生をしている友人が「私、カクテルシュリンプ屋することにしたわ」というメッセージとともに、ラップで巻いた大きめの茹でエビを3尾郵送してくるという、不思議な夢を見た。

訳がわからない夢を見るのは、たいてい頭が疲れているときだと以前誰かが言っていたような気がする。ただ、年に数回しか覚えていない夢のなかでは割とおもしろい方じゃないかと思う。その後、エビを見て笑う私を見ていた映画プロデューサーとこの一年についてを話し込むという、謎に謎を重ねた夢だった。ちなみに、エビの小包を受け取ったのは、坂道の草原を子ども用のソリで下る途中で、時刻はちょうど夕日が沈む頃だった・・・。なんだったのだろう。


さて、気を取り戻して本題へ。きょうも今日とて仕事を進めつつ、来月発表を控えている「川とともに暮らす、2070年の未来」について考えをまとめていた。いろいろとネットサーフィンをしていると、「感性を刺激するパブリックスペース」について書かれている文章を見つけた。

理想的なパブリックスペースとは、個人の日常や感情を素直に出すことができ、利用者全員が “自分のためにある場所” と感じることのできるスペースである。

これまでハード事業に関わったことはないけれど、こういう過ごし方ができる場所が個人的に好きだ。水辺に限らず、公園やその周辺にあるベンチもきっとたくさんの人にとって憩いの場所になっていると思う。(“自分のためにある” というのは、日本人的に意識しづらい気がするので、“自分がいてもいいと感じられる” ということかなと解釈することにする。)

オランダかデンマークだったかの公園は、周辺に居住する移民が多いという背景から、それぞれの国を思うことのできるオブジェや要素を配置するなど、まさに上記を体現したパブリックスペースになっているという記事をどこかで見かけた気がするな。「誰にとっても」ということは、世代も年齢も性別も国籍も超えるということ。ユニバーサルデザインという観点も忘れてはいけないだろうし、議論の場にその場を使うみんながいることが理想かなと思ったり。


話がどんどん逸れてしまいましたが、そういう前提をいま一度あたまに入れておきながら、未来の水辺を考えたいと思うのでした。もっと日々のなかに憩える場として水があるといい。そういう視点でピンタレストを見てみると、世界にはさまざまな事例があって本当に楽しい。

こういう思考の延長で、観光や滞在プログラムを考えるとさらに楽しくなってくる。考えを、もっとかたちにしていきたいね。


そうそう、全然関係ないのですが、ベッドフレームが壊れたことによるマットレス直置き生活が幕を閉じました。あれはあれで、アジアのホステル感があって楽しかったなと思いつつ、今日からは北欧家具とともに眠ります。

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