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寝る前のメモ。


心地のいい距離感を保つことで、機嫌よく過ごせるんじゃないかな。人も、まちも、ものごとも、心地いいと感じられる距離があると思っている。

もちろん、そこ(=コンフォートゾーン)を突破しようとするからおもしろい何かに出会えるのはわかっていて、だからこそ、最低限の住むところだけは心地よさを感じていたい。安心できる要素・環境は人それぞれだけど、私にとってのそれは、音のない静かなところで、雨風をしのげて、夜はきちんと眠り、空と山が眺められるということのように思う。

ここに軸がある、帰る場所がある、と無意識のうちに感じられたことでいろんなチャレンジをしてきただろうし、これからもしていきたいと考えている。(ということはやっぱり、家のような心温まる場所というのは大切な要素だよね。属人的だけど。)

別にそれは、必ずしも生まれ育った場所でなくていいし、血縁・地縁があるかどうかなんてあんまり気にする必要もない。友だちや家族は大切かもしれないけれど、どこまでいっても他人だし、同じ人間ではないから100%わかり合うなんてむずかしい。


そういう風に書きながら、私の場合は、大半の人生を血縁・地縁だらけの場所で過ごしているのであまり説得力がないかもしれないな。ただ、地元を離れたときに、何も変わらず帰ってきたのは、その辺りの感覚が変わらなかったからだと思う。もちろん、都合のいいように記憶しているだけかもしれないけれど。


きょうは、このままドライブにでも出てしまいたいほど天気が良くて、少しだけ憂鬱になった。仕事がどうこうではなく、時世的なものとして。こればかりは嘆いても仕方がないんだけどね、すこし遠くへ、おいしいコーヒーを飲みに行きたくなる日もあるじゃない。たとえ、ここが一番の作業スペースや!と思っている家でも、仕事が捗らない日もあるしさ。

いまは、そういう近い未来をたのしみに待つしかできないし、悲観しても何も変わらないので(と書きながら、それほど悲観はしてないけど)、とにかくこの盆地のなかでできることをやっていきたいと思います。新しい価値観・感覚との意図しない出会い(五感が最前線にいる状態)だけが、ずっと足りなくて、それだけはやっぱり旅に出ないと得られないものだとわかる。

でも、生まれ育った場所で、ずっと近くにいた人たちと改めて何かを考えたり、始めたり、話したりできることは、これまでの人生のなかで一番おもしろいことだと思っていて。しばらくは追われすぎて “こなしている” 感覚のまま過ごしてしまったけれど、ちょっとずつ余白を取り戻していけそうなので、本来やりたいと思っていたことも進めていきたいと思います。


Googleカレンダーに予定がない土日もひさしぶりなので、週末がちょっと楽しみ。また何か見つけてしまったらそれはそれとして。仕事を進めていたらそれもそれとして。ちょっとイレギュラーな数日を過ごしてますが、ひさしぶりに料理をしてみたらそれもまた楽しい。

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