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寝る前のメモ。


時々ふと、ぶかぶかになった抜け殻のなかに身を置いているような心地がする。ここにいると分かっていながらも、頭はどこか遠くのことを考えていて、空の高いところから自分を眺めているような感覚。

ぶかぶかになったものは、成長の証のようにかっこいいものではなく、かといって砂漠でカラカラに乾いた皮でもなく、どこか見栄や羨望を可視化したような生っぽい温度をしている。そういう感情があることに自分自身が気づくと、静かに遠くを考えたくなるのはなんでだろうね。とにかく独りで、ずっとずっと底のほうに潜りたくなる。

学生の頃は自分自身のことを自分が一番よく分かっているつもりだったけれど(何かを守ろうとしていたのかも)、最近はできる限りその辺りを手放したいと思っていて。どれだけ優秀な研究者の手にかかっても、人間の脳みそというものがほとんど明らかにされていないのであれば、それ以上にわかろうとしても到底わかりきることはできない。諦めるのではなく、わからないことを明らかにする。

だったらもう、あまり考えずに興味が向く方へ真っ直ぐ進むだけでいいんじゃないかって。「社会」というものと接続しながら生きていくことを生業としている身で、なんて無責任なことを言うんだ!とも思うのだけど、それぞれが自分自身の興味に向かっていくことで、なんとなく全体が保たれるんじゃないかと思うのよね。なんの話や、という話からのスタートですが、これはどちらかといえば前座です。

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今年はようやく海外に出られるチャンスが巡ってきそうで、嬉しさのあまり公園の原っぱに寝転びたくなった(アルプスの山を駆けたくなる開放感というか衝動というか)。先のことばかりを考えると3年前の二の舞になりそうなので、現在地から切り離さずに準備を進めていこうと思う。仕事の機会を外につくっていくことが自分的には一番しっくりくるかな。

今週も楽しいお話がたくさんあって、これからも大切にしていたいことを再確認。いくつかは「禅」から派生してきた歴史や文化のことで、もういくつかは自分も含めたさまざまな「人」のチャレンジや変化。「ローカル」や「地元」と呼ばれるものにもあまり固執する必要はなくて、でも、私にとって大事にしたい根っこは常にそこにあることもわかって。

頭の片隅にあるやらなければならないものごとがずっと気になっているので、明日はスイッチを切り替えてそれらを黙々と進めようと思う。

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気がつかないうちに服がほつれている今は、何をどうしても自分から出てくる言葉が説得力に欠けてしまうので、その辺りもエイヤーと手放してしまおう。

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