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寝る前のメモ。


カエルの大合唱をBGMに、今日も夜を迎える。いつの間にか静かになっていくカエルたちには、カエルたちのリズムがある。

刻一刻と落ちていく夕日のことを、できるだけ長く見つめていたいと思う。うっかりしているとあっという間に過ぎていく日々のなかで、過去と現在がひとつづきであることを体験できるものは、地形がつくる風景だけだと思うから。どれだけ人工物ができたとしても、地形だけは揺るがない。

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今週から旅行業の勉強を再びはじめ(今度は総合)、世界地図を広げながら、世界史は暗記するだけではもったいない科目だったんだなと今更ながらに。先生が目を輝かせながら語ってくれた世界の歴史は、当時、朝練・早弁・昼練・練習のリズムで生活をしていた高校生の私にとって、ただただ睡魔との戦いでしかなかったことを少しだけ悔やむ。

(そして、丸暗記をするだけでは当時と変わらないとも思っているので、試験で点を取る以上のいい勉強方法を探したい。)

でも、やっぱり自ら学びたいと思った時がスタートでもいいんじゃないかとも思っていて。何でもかんでも時間割に詰め込まれた結果、大人になったいま、大切だったはずのことがほとんど残っていないのだとすると、「勉強をする」ことにおける興味関心のプロセスを丁寧につくっていくことの方がよっぽど重要で。

小学校の頃にあった総合の授業のように、自ら必要だと思うことを調べて学んでいくほうが、大人になった今でもきちんと残ってる。何か学びの中心となるような問を立てて、これは数学で導き出す、これは歴史を掘り下げる、これは創作を通じて伝える、みたいなこととそれぞれの授業の関連がわかると、勉強をすることがもっと立体的になっていくというか。

いくつかある構想のうち、近い将来に場所がもてる日が来たら、子ども用に出展ブースを用意したいと思ってる。アメリカの子どもたちがチャレンジするレモネードスタンドのように、自分で原価を計算してお小遣いを稼ぐような体験。

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先日、偶然にも「AFTER2025」に出会うことができました。インタビューを読んでいて、なんで自分が「公共」と呼ばれるものに興味があるのか、なんとなく理由がわかってきたような気がします。

出かけるたびに本を買ってしまい、呆れるほど積読が増えてしまったのですが、巻頭(?)インタビューのティム・インゴルド氏の本も読んでみたい。

「人類学」というアプローチは客観性を保たなければいけない場面で「We」を名乗れない気がするので、あまり自分にはあっていないのかなと思うのだけど(理解はしたいけど、どこまでもフラットな目線でいたい)、ランドスケープアーキテクチャーは、「ランド」の意味あいを拡張したときにおもしろくなるんじゃないかと思ってる。


学生時代の友人と会うところからスタートしましたが、今週もなんだかあっという間でした。

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