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寝る前のメモ。


小さい頃から優柔不断で、ほしいものも何かひとつに絞ることができず、習い事も複数し、つまみ食いとブッフェ形式を好んできた結果として、仕事においても明確な肩書きをもつことができないまま数年の月日が経ってしまった。(本当にわがままで遠まわりで頑固な人生だと思う。)

日々、「わたし一人では、何もできない」という壁?感覚?にぶち当たり続けていると、自然と毎日が仲間集めになっているというか、無意識のうちに足りないピースを埋めてくれる人を探している。地方にいるとなかなか新しい人やスキルを持った人と出会える機会も少ないけれど、情報を発信しながら辛抱強く待ち続けていると、巡り合わせのようなことは案外起こる。もちろん、待っているだけではダメだけどね。

わたしは、身のまわりにいる方々のように何か一つの道を選ぶことができなくて(裏を返せばどれも途中というか中途というか)、いくつかの領域を行き来しながら総合力を高めている。天に向かって毎日どこかを数センチずつ嵩上げしつつ、なかの水がこぼれないように必死というイメージかな。毎日そのなかを手漕ぎボートで確認しながら、抜け漏れがないかをチェックしている。


なんの話かわからなくなってきたけれど、見たい風景はいくつかあって、そのビジュアルイメージだけはいつも頭のなかにある。

あるときは静かな田園にたたずむ古民家で作務衣のようなものを着て、あるときはたくさんのオーディエンスがいるような場で、あるときは漆喰で塗らられた壁のセレクトショップで。またあるときはコーヒー農園で働く人々や高山で編み物をしている女性に子どもと話していたり、世界各地の職人の工房を訪ねていたり、雪山が見えるオフィスやカフェで土地とデザインの話をしていたり。クレイアニメのスタジオで掃除担当をしているイメージも。(改めて書き出すと、やはり欲張りであることは拭えない)

ここから先の人生で、何がどのくらい実現し得るものなのかはわからないけれど、多分きっと、どれも実現するのだと思う。本当にやりたいと思っていることであれば、活路は開ける。

あと2年のうちに30代に突入するなかで、身体的には衰えていくわけだから、いろんな制約が出てくる可能性はゼロではないけれど(社会情勢もどのくらい改善するかわからないしね)、焦りは禁物だという気持ちと、とはいえ、ギアを上げていかないと前に進まない、という気持ちがずっとあって。

4月以降の動きは定かではないですが、結局機会をつくり出さないと熱を注げない性格なので、いただいた機会をものにしていく気持ちだけは忘れずにいたいね。真っ白なキャンパスには何も描けなかったけれど、画材がこれだけ揃っているのなら、描かずにはいられないよね。

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