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寝る前のメモ。


対外的な打ち合わせは昨日で終えていたので、今朝は少し肩の力が抜けていて。抜けていたというよりは力が入っていないに等しくて、朝からテーブルにお湯やコーヒーを次々にぶちまけていった。

数年前から「仕事納めは?」と聞かれるたびに答え方を迷っていたけれど、年明けからスタートするいくつかのプロジェクトを考えると、今は年末年始だからと無理に休もうとしない方がいいのかも。朝の一件だけでも、自分のなかでリズムが崩れているのがわかるしね。大掃除も終えたし、しっかり休むのは全てのプロジェクトが済んでからでいいかな。

この年末は、久しぶりに小学校から大学までの同い年の友人と会った。コロナになる前からしばらく会えていなかった人もいたので、ひさびさに近況の報告や懐かしい過去の話。普段から人と話をするときに、年齢に関してあまり意識することはないのだけれど、こういう時間があったことで、これまで本当になかったのだと気がついた。プロジェクトチームも基本的には年上の人ばかりだし、同期がいる環境ではなかったしね。

決して避けていたわけではないと思うけど、今年に入ってからは仕事上でも歳の近い人に出会う機会が増えたかな。あとは自分が関わっている企画に同級生が遊びに来てくれたりもした。

たまたま「生まれ年が同じ」「居住地が近い」という理由だけで一緒にいた頃に感じていた窮屈さは少し和らいだように思う。いまはもっと、違うところで共有している感覚がある気がする。

こういう仕事をしているからだと思うけれど、「地元が嫌い/嫌いだった」という言葉をそこそこ耳にする。その言葉の背景にどんな要素が含まれるのかはもう少し考えてみたいけど、同級生に細かくヒアリングしたら嫌がられるかな。

あと、都市に移った同世代(と一方的に括ってしまうのは良くないです)の話を聞いたときに、感覚的なズレを感じるのは何故なんだろう。敏感なだけかもしれないけど、他者を牽制するギラギラめいたものを感じることもある。馬鹿にするとかではなく、この人は一体何と・誰と戦っているんだろうって。

私が3周くらい世の中のトレンドを逃してきたせいかもしれないけれど、なんだろうな、話していくうちに目的と手段がてれこになっている気がする時もある。地元に対して何を思おうが自由なので、好き勝手言えばいいけれど、もっとあなた自身の言葉で聞かせてほしいし、まなざしを向けてほしい。いや、それを言ってしまうと重いか。

何にせよ説得できるだけの実績を持ちあわせていないので悔しさもあるんだけど、それだけはずっと不思議かな。議論をしたいわけではないし(若い頃は一度お酒の席でふっかけられて堂々巡りになったこともあったな・・苦笑)、たまたまそういう言葉を浴びやすい立場にいることはわかっているので、不思議は不思議として。楽しんでいる姿だけ伝わればそれでいい。


ここまで書いてきたような、果てしなく取り止めもない話を何度か140文字に収めようと思ったのだけど、あまりにもうまくまとまらないのでこちらに。

くだらない話を加えると、「お庭サンダル」という言葉を見つけて嬉しくなって調べてみたら、思っていたサンダルと違いました。(いつでもどこでも裸足×芝生の感触を楽しめる最高なサンダルを想像していました・・・笑)


さてさて、明日・明後日いろいろと整理できたら、1日はストップモーションアニメをつくろう。金曜日の更新、よく考えたら次は31日なのね。

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