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寝る前のメモ。


「休みの日は何してるんですか?」「あなたにとっての娯楽って?」そんな質問をいただいて、これまた頭を抱えてしまったわけですが、「娯楽ってなんですかね・・・」なんて野暮なことは聞けないので、改めて調べてみることに。感覚としては、趣味とか息抜きに近いのかな。

娯楽(読み)ゴラク
[名](スル)仕事や勉学の余暇にする遊びや楽しみ。また、楽しませること。
コトバンクより引用

おそらく、ずっとバスケットボール一筋の生活をしていたことで、概念的なものが曖昧になっているのだろうと思う。ただ、仕事や勉学が楽しいとなると、あいだがなくなってしまうのもまた事実なんじゃないかな。

もちろん、まったく息抜きをしないまま駆け抜けられるほど強靭ではないので、本を読んだり美術館に行ったり、自転車に乗ったり走ったり、あるいは人と話したり(そして旅行に行ったり)、いろんなことをしながらほぐしているとは思う。ただ、その中かで明確な娯楽と呼べるものがなく、これといった趣味もない。

娯楽や趣味とは異なるかもしれないけれど「新しく何かができるようになる」とか「新しい感覚に触れている・発見がある」ことが嬉しくて、そういった状況が達成できたときは快楽に近い心地よさがあるし、それだけで割と十分なんだと思う。燃費がいいといえばそうなのかもしれないけれど、その代わりに爆発的なエネルギーは持ち合わせていない。いつも低空飛行。

ここのところしばらく、センスの良さと名のついたスキルを持ち合わせている人たちとのコミュニケーションが増え、この歳になって改めて自己というものを見つめ直している気がする。というよりも、見つめざるを得ないというか。

毎日こうやって書きながら目を逸らさずに向き合ってはいるものの、ここはあくまで自分と自分が向き合う場所なので、他者を合わせ鏡にするのとは少し異なる。他者を通して自己を知るとき、私はいかにちっぽけで臆病なのか、生きている世界が狭いのかと嫌気が差すこともある。

けれど、嫌だなぁと感じる自分自身について、嫌なままにしておくとしんどくなってしまうので、わたしとしては、受け入れるか、突破していかないといけなくて。いつもそこにあるのはその2つの選択肢。

いろいろと揺らぐ部分もないわけではないですが、常に今日の自分自身を超えることだけを考えながら、手足を動かしていこうと思います。何者にもなれない、と自分のことを受け入れるにはもう少し時間がかかりそう。明確な名前のある何かになることを、心の底ではあまり望んでいないと思うのだけれど、人に紹介されるときの自分を表すものが「亀岡」以外の何者でもないので、天邪鬼で欲張りなわたしはそれを超えたいと願ってしまう。


さてさて、旅先で編集者の狂気を感じる雑誌と出会ってしまったので、それを買ってみていろいろ勉強したいと思います。美しいと感じるものに加えて、熱意が伝わるものが好き。

4月は少し旅の予定も入っているので、まずはきちんと3月を終えよう。報告書に確定申告、次の企画づくり・・・がんばれわたし。

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