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寝る前のメモ。


小さな頃に遊んでいた環境の豊かさが、20年の時を経て仕事になるとしたら。自分自身でできるいちばん小さな実験を、今日まで続けているのではないかと思います。

苔むした寺社、中洲、陶芸家さんの工房、祖父母がいた牛小屋や畑、サワガニやタニシがいる水路。ほとんど毎日練習していたミニバスが休みの日には、友人宅の庭に竹を切って大きな木槌で打ち込み、壁と屋根をつけて秘密基地をつくったこともありました。選択肢という意味では限られていたのかもしれませんが、これらはとても大切な遊び・遊び場だったのだと思います。小学生の頃はプールとは別に近所の川に入る授業や、地域の農家さんと一緒に野菜づくりやお米づくり、しめ縄づくりをしたこともありました。

これらが職業になるという教育こそ受けてきませんでしたが、これらの原体験から何か大切なものを受け取って、今の仕事につながっていることを実感しています。

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島国という限られた土地でこれでもかというほど建設工事が行われる日本。10分でも時間を短縮するために、効率良く移動するために、いまでも大きな道路や新幹線を通しているわけですが、これをもとにコントロールできることが大前提となった世の中で“不機嫌な人が増えた”とすると、私はそれが失敗だったのではないかと思うわけです。

そんな研究をしている方がいらっしゃるかはわかりませんが、国土を増強する(あるいは、していると思い込む)こととは裏腹に、何か人間に対しての生きづらさを自らの手でつくりあげてしまっているのではないか、そういう仮説がふと湧いてきて、だから土木という分野に血を通わせてみたいと思うようになったような気さえしてくるわけです。同時にこの15年で天災が続き、「自然をコントロールできる」という人間本位の考え方は通用しなかったことに気づくべきではないかとも。

そんな時に、かつてものすごいスケール感覚(空間・時間軸)で「グランドデザイン」を考えた渡来の人々がいて、その人たちの視点はどういうものであったか、それは今日に至るまでどのくらい機能しているのか、あとどのくらい保てるものなのか、私たちはそういう足元に何を重ねていけるのか、みたいなことへ思考を巡らせていた矢先、さまざまな仕事や出会いを通じて考えの続きを実践する機会をいただいています。

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苦手なことはやらなくていいと思いつつ、この段階で自ら狭めてしまう必要もないのかなと思う日々です。これから新しいチャレンジも始まるので、今日はしっかり寝よう。

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