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寝る前のメモ。


これから夏本番(!)と言わんばかりではありますが、自然界は静かに着々と歩みを進めています。こういった発見をしたときはなんかもう、圧倒的に敵わないと思うわけだけれど、だからこそ自らの暮らしをその流れに委ねていきたいよね。

身のまわりにある日常に敬意を払いながらも、せっかく生まれたわけだから、人間だからこそできることを見つけていきたい。

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今晩は、昨日参加していた田植えでの出来事を書いていこうと思います。やっぱり「農」や「食」は自分にとって切っても切れない存在なのだと、改めて考える体験でした。働く面においても、少しずつ以前のようなリズムをつかめてきたかな。

田植えに参加することになったのは、外国籍・日本在住のご家族が自身が運営しているWEBサイトにアクセスしてくれたことがきっかけです。「田植え体験」を探しているうちにヒットしたそう。

ここで育てられたお米は、収穫後に小学校給食で提供されるそう。私自身も小学生の頃に体験していましたが、野菜やお米など、自分たちが手がけたものをいただく喜びはもっと大事にされるべきだと思う。

採れたての野菜を川の水で洗っていただいたり、収穫したお米の藁を使ってしめ縄をつくったり。地域の方々とともに生きていることを何よりも実感したのは小学生の体験が大きかったはずで。

そうした体験たちがいまの私をつくっているとすれば、当時の教育はそれなりに成功だったと言えるよね(笑)。


さて、話を本題に戻していく。

たまたま目の前で長靴ごと田んぼにハマってしまったお母さんがいて、この状況で男の子2人を見るのは大変そうだな〜と感じたので、その列に参加させていただくことに。

指導をされていた農家さんの言う通りに稲が植えられないのは、わんぱくな年頃だからしょうがないと思っていたのだけれど、お母さんが「見ての通り発達障害があるんです」とおっしゃっていて。あんまり私が気にする話ではなさそうなので、子どもたちとのお話を楽しむことにしました。

「今日は遊びに来たんじゃなくて、勉強しに来た」と仕切りにその子が言うものだから(親御さんは一切そういう話はしていなかったけれど)、じゃあクイズです!と言ってお米に関する豆知識をもとにいくつかクイズを出してみました。

結論から言えば、その子も最後は用水路に肩まで浸かって楽しんでいたし、田植えで使った道具も積極的に洗ってくれていたんです。自ら「これは勉強だ!」なんて言っていたことはとおに忘れてしまっていたんじゃないかなと思うくらい、夢中になっていて。最初は「蜘蛛がいる〜〜〜〜!涙」と田んぼに入ることすら抵抗していたのだけれど、この変化はなかなか大きいよね。

文科省でも「小さい頃に自然体験をした子どもは自己肯定感が高まる」と言うデータを提示しているそうで、やっぱり小さな成功体験ができる場がここにあることの意味は大きいのだろうなと思いました。

取り止めもない文章ですが、自然体験を通してそうした力が身につけられるとしたら、まだまだやれることはたくさんあるはずで。そんなタイミングで、ご近所の空き家が売りに出たと聞き、もしかしたら本当に今がチャンスなのかもしれないと思い始めています。

小さな「できた!」を積み重ねていくことが一番。そして、「できなかった」ことを「どうすればできるか?」に変えていくことで、クリエイティブな取り組みが増えていくように思いました。

間違いを恐れてしまう社会ではありますが、できなかったこともひとつの大切な経験なんだよね。

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