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寝る前のメモ。


言葉では正確に伝えることができないから、私たちは自然の力を借りるのだと今日一日を過ごして改めて思った。ツンと寒い冬の日に、春に向けた準備を着々と進めているのだから、自然にはやっぱり敵わない。けれど、そういうことに少しでも近づきたくて人間は「表現」というものを手段としたのではないかと思う。私は表現者ではないけれど、自然の力を実感する翻訳者になってみたいと思った。

自然に対する畏怖と美しさを同時に知っている人たちの言葉は、しなやかで力強い。

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目の前にある風景をずっと美しいと思ってきたけれど、いよいよその場所に道路ができることになった。人間のエゴで水平方向に削られた山を思うと、やっぱり心が痛む。すでにコンクリートの土台が見えるところもあって、昼間には見ていられず、最近は日が落ちてから散歩に出る。

そんなことを思って言葉にまとめてみたら、やっぱり悔しくなって涙が止まらなかった。

私たちは数十分の時間を節約するために、巨額な税金と野生生物たちの居場所を消してしまうのだ。それでクマが出たというのなら、もうそれは自業自得でしかないのだと思う。私たちが住まうLANDのステークホルダーには、生き物も植物も存在していて、そこを無視した開発には少なくとも私自身は価値を見出せない。“地元が望んだ" という見出しを見て、なんとも言えない気持ちのまま数日。

日本人的価値観はどこまでも反映されている光景なのだけど、日本人の美意識はそこには存在していない。いや、そんな高尚なものとして扱いたいわけではなく、ただただ「それでいいのか?」というシンプルな問いになる。そこに手を加えるだけの、人工物としてしまった自然にこれからも手をかけていくだけの覚悟はあるのかと。陥落した道路を使い続けることへの不安からこの現象が起こっているのだとしたら、その当時になされていた計算が甘く、自然の方が賢かったというだけのことである。

少なくとも、こういうことが起きないようにとこの数年は頑張ってきたつもりだったのだけど、届くべき人のもとへ全く届いていなかった確かな証拠でが目の前にはあって。まだ完成する以前のものを、100年をかけてでも元に戻していくことを計画するなんて、なんてクレイジーなんだと思われるかもしれないけれど、それだけこの風景が私にとっては重要だったということです。

山の風景がどんな風に変化するのかのパースなどは一般公開されておらず、このまま完成することを黙って見ているだけでは、という気持ちが募る。

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