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寝る前のメモ。


気候変動の影響を肌身で感じるようになった世の中で、世界に対して「日本文化」を通して翻訳できる取り組みってなんやろうなと、DIALOGUEのカルチャープレナーのトークを聞いて思いました。その後の友人との会話で“寄り添う”というキーワードが出てきて、なるほど、でもちょっとわかりきっていないかもという感覚の週末。

きょうは、土曜日に会ったみなさんが「明日は植樹だよ」と話していたので、お昼から参加できるなら行きたいです(!)と急遽参加させていただきました。到着した頃には植樹は終わってしまったのだけれど、土を耕し炭を入れて、レイズベッドをつくっていると、子どもの頃のような感覚が戻ってきて、カブトムシの幼虫をひさしぶりに手のひらに乗せていました。畑であっても、山であっても、はたまた、街中であっても、好奇心が勝ってしまう環境はやっぱり楽しいよね。

その後も「流域」のトークをしばらくしていて、なんでこれがしっくりきたかを改めて言語化させていただき、その歩みの難しさとおもしろさについて再認識できました。誤解を招かぬようにと思いつつも、複雑な世の中がおもしろいと思ったのは、どこに課題があるのか、そのなかにある人間らしさを見つけるのが楽しかったんだと思う。

自分が生きている今に関心がもてなかったらつまらないし、せっかく現代を生きているなら少しでも身の周りが楽しくなるといい。気候変動とか世界平和とか、壮大なものごとに直面すると、全部がはじめから上手くいくわけではないのだけれど、やっているうちにちょっとずつ広がりが見えてきて。道のりは長いけれど、誰かと一緒なら楽しくできるんじゃないかって思えてきたんだよね。

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ここのところしばらくは、一人ひとりの「正義」についてを考えていて、だからこそものごとは一つになることがないと思っています。その状況を悲観するわけではないけれど、もし、正義についてのお話を伺ったうえで、一人ひとりの「目的」が達成されるとしたら、もしかすると一つになれる可能性があるんじゃないかとも思っていて。ついつい概念的になりがちですが、現場でさまざまなヒアリングをさせていただくなかで、割としっくりきているような気がします。

とは言っても、私自身にも私自身の目的があるから、まずはそこになるべく注力してみて、そこから先はそこから先のこととして考えていくと良いのかな。届けたい誰かがわかっているのなら、そこに向けて届ける努力をしていくだけなので、届けたいものが何なのかがわかったから、あとは愚直に続けていこうと思います。

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